アヘン戦争
Last-modified: 2019-04-10 (水) 12:24:26
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アヘン戦争(あへんせんそう) †
1840年〜 アヘン(麻薬)の密輸をめぐって,清(中国)とイギリスが戦った戦争。 清から茶などをさかんに輸入していたイギリスは,支払いの銀を手に入れるために,インド産のアヘンを清に密輸して大きな利益をあげていた。清がアヘンの売買を禁止し,イギリス商人からアヘンを没収すると,イギリスは艦隊を派遣して清を攻撃した。戦争はイギリスの勝利に終わり,1842年に南京条約が結ばれ,中国の半植民地化が進むことになった。
【アヘン戦争と不平等条約】
- 1838年……
林則徐 が清の欽差 大臣(特命大臣のこと)に任命される。
- 1839年……林則徐が
広東 (中国南部)でイギリスのアヘン貿易をきびしく取り締まる。イギリス議会は艦隊の派遣を決定する。
- アヘンの密輸を原因とするこの戦争についてはイギリス国内でも反対の声が大きく,イギリス議会は賛成271票,反対262票のわずかな差で艦隊の派遣を承認した。
- 1840年……アヘン戦争はじまる。イギリス艦隊が
天津 (北京 の外港)にせまり,林則徐が解任される。
- 1841年……清が
香港 の割譲 などを拒否したため,戦闘が再開する。
- 1842年……イギリス艦隊が
上海 などを占領する。屈服した清は南京条約を結び,香港の割譲や広東・上海などの開港を認める。
- 1843年……清とイギリスが
虎門塞 追加条約を結ぶ。イギリスの領事裁判権を認め,清に関税自主権がない不平等条約であった。
- 1844年……清がアメリカ合衆国と
望厦 条約,フランスと黄埔 条約を結ぶ。イギリスと結んだ条約と同様の不平等条約であった。
- 1856年……広東で,清の警察がイギリス
船籍 を名乗るアロー号にのっていた中国人水夫を海賊容疑でとらえる。これをきっかけにイギリス・フランス連合軍と清の間で戦争がはじまるが,これをアロー戦争または第二次アヘン戦争という。
- 1858年……連合軍が天津にせまる。太平天国の乱にも苦しんでいた清は,アメリカ・ロシアも加えて天津条約を結ぶ。
- 江戸幕府の大老の井伊直弼とアメリカ総領事ハリスが日米修好通商条約を結ぶ。ハリスはアロー戦争に出兵したイギリス・フランス連合軍が日本もねらっているとして,条約の調印を急がせた(日米修好通商条約ではアヘン貿易が禁止されている)。
- 1859年……清が天津条約の
批准 を拒否したため,再び戦争となる。
- 1860年……連合軍が北京を占領し,ロシアの調停で北京条約が結ばれる。同時に清とロシアの間でも条約が結ばれたが,これも清に不利な不平等条約であった。