ベルサイユ条約
Last-modified: 2016-06-14 (火) 17:04:25
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ベルサイユ条約(べるさいゆじょうやく) †
1919年 第一次世界大戦後,パリで開かれた講和会議で,連合国とドイツが結んだ講和条約。 パリ講和会議は,アメリカ大統領ウィルソンの主張(民族自決や国際連盟の提案)を原則としてすすめられたが,実際の条約では戦勝国であるイギリス・フランスの利益が優先された。
【ベルサイユ条約のおもな内容】
- 国際連盟……設立を決定し,規約を定めた。
- アメリカは議会が国際連盟規約を除いてベルサイユ条約を承認したため,提案国であったのに国際連盟に参加できなかった。
- ドイツ……すべての植民地と本国の一部を失い,軍備を制限され,巨額の賠償金を課せられた。
- のちにヒトラーはベルサイユ体制(ベルサイユ条約にもとづく体制)の打破を主張して,ドイツの政権を獲得することになる。
- 日本……中国にあったドイツの利権と,ドイツが治めていた南洋諸島を受けついだ。
- 中国ではこれに反対する五・四運動がおこり,中国政府はベルサイユ条約の調印を拒否した。
- 東ヨーロッパ……ポーランドなどが独立を認められた。
- 民族自決が原則とされたが,アジアやアフリカの植民地の独立は認められなかった。
【参考】
パリ講和会議では,ベルサイユ条約,サン・ジェルマン条約(連合国とオーストリア),ヌイイ条約(連合国とブルガリア),トリアノン条約(連合国とハンガリー),セーブル条約(連合国とオスマン帝国)が結ばれたが,中学校の段階ではベルサイユ条約を覚えておけばよい。