トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS


ペリー

Last-modified: 2020-01-15 (水) 14:13:44
Top / ペリー

歴史Aランク

ペリー

マシュー・ペリー 1794年〜1858年 アメリカの海軍軍人で,2度にわたって日本に来航し,日米和親条約を結んだ。 ペリーのひきいる艦隊の軍艦は,当時の人々から「黒船」とよばれた。

perry.jpg

【アメリカ船の来航】

アメリカは,中国への貿易船や捕鯨(ほげい)船の寄港地(きこうち)として日本の開港を求めるようになっていた。

  • 1837年……アメリカの商船モリソン号が日本人漂流民をのせて江戸湾に面する浦賀に来航するが,砲撃をうけて退去する。
  • 1846年……アメリカの東インド艦隊司令官ビドルが2隻の軍艦をひきいて浦賀に来航し,通商を求める。江戸幕府は交渉を拒否し,アメリカ政府から強い権限を与えられていなかったビドルは退去する。
  • 1852年……アメリカ大統領が東インド艦隊司令官ペリーに日本開国の任務を命じ,11月にペリーはアメリカを出航する。アメリカが日本に艦隊派遣を計画していることは,オランダから幕府に知らされていた。
  • 1853年……ペリーの艦隊が琉球(りゅうきゅう)(沖縄)に来航する。小笠原(おがさわら)諸島の探検後,ペリーは蒸気船2隻をふくむ軍艦4隻で浦賀に来航する。幕府の退去要求を拒否し,軍事力を背景に開国を求める大統領親書を受け取らせた。ペリーは1年後に返事を聞くために再来航することを伝えた上で江戸を離れ,琉球に残した艦隊と合流してホンコンに寄港した。
  • 蒸気船は蒸気機関をもつ船のことで,日本に蒸気船が訪れたのはこのときがはじめてであった。(それ以前に日本を訪れていた外国船は,()に風を受けて動く帆船(はんせん)であった。)
  • 1854年……琉球を経由したペリーが蒸気船3隻をふくむ軍艦9隻で浦賀に再来航し,幕府に強くせまって,ついに日米和親条約を結ばせた。江戸から再び琉球に来航したペリーは琉球王国と通商条約を結んでから帰国している。