モンゴル帝国
Last-modified: 2021-01-12 (火) 16:30:36
Top / モンゴル帝国
モンゴル帝国(もんごるていこく) †
13世紀初め,チンギス・ハンが中央アジアを征服してつくったモンゴル民族の帝国。 チンギス・ハンの死後も子孫によって領土を広げ,中国から南ロシアやイラクにいたる大帝国に成長した。
モンゴル帝国は交通路を整備したことから,東西の交流が活発になった。
【モンゴル帝国】
モンゴル帝国は,モンゴル高原を支配する皇帝を中心として,チンギス・ハンの子孫が支配する国(ウルス)が集まる連合国家の形をとっていた。
- オゴタイ・ハン国(1225年?〜1306年)……オゴタイ(チンギス・ハンの3男で第2代皇帝)とその子孫による政権で,のちにチャガタイ・ハン国に併合されている。オゴタイの死後は政権としての実態を失っていることから,近年はオゴタイ・ハン国の存在を認めない学説も有力になっている。
- チャガタイ・ハン国(1227年〜1369年)……チャガタイ(チンギス・ハンの次男)が中央アジアに建国。14世紀に東西に分裂している。
- キプチャク・ハン国(1243年〜1502年)……バトゥ(チンギス・ハンの長男ジョチの子)が南ロシアに建国し,14世紀には東西貿易の中継点として栄えた。モスクワ公国(後にロシア帝国に発展)の独立後,分裂した。近年はジョチ・ウルスとよぶことも多くなっている。
- イル・ハン国(1258年〜1411年)……フラグ(チンギス・ハンの4男トルイの子,フビライの弟)がイランを中心に建国。イスラム教を国教とし,ペルシャ・イスラム文化を発展させた。
- 元(1271年〜1368年)……フビライ・ハン(チンギス・ハンの4男トルイの子で第5代皇帝)が建国し,1279年には宋(南宋)をほろぼして中国を統一した。元は1368年に中国から追い出されてモンゴル高原にうつったが(以後は「北元」とよぶ),モンゴル帝国の皇帝位は1634年まで続いている。
【参考】
ハン(カン)はモンゴル民族の君主の称号であるが,モンゴル帝国では第2代皇帝のオゴタイ以後は皇帝の称号としてハーン(カアン)を用いている。したがって,第5代皇帝のフビライはフビライ・ハーンと表記する方が正しいが,中学校の教科書では称号の区別を行わず,フビライ・ハンと表記している。