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伊藤博文

Last-modified: 2019-04-16 (火) 12:20:59
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歴史Aランク

伊藤博文(いとうひろぶみ)

1841年〜1909年 明治時代の政治家で,大日本帝国憲法制定の中心となった。 長州藩出身で,大久保利通の死後,明治政府の指導者的な存在となった。初代の内閣総理大臣としても有名である。

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【伊藤博文】  

長州藩の出身。父は農民の出身であったが,父の養父が足軽の伊藤氏の養子になったことから伊藤を名乗るようになった。吉田松陰(しょういん)松下村塾(しょうかそんじゅく)に学び,尊王攘夷運動に参加した。

  • 1863年……イギリスに留学し,英語などを学ぶ。
  • 1864年……四国連合艦隊の長州藩攻撃の近いことを知って帰国,下関戦争では和平交渉(こうしょう)にあたった。同年末には高杉晋作(しんさく)らとクーデターをおこして長州藩の実権をにぎり,倒幕運動を進める。
  • 1868年……王政復古。明治政府に加わる。
  • 1871年……岩倉使節団の副使として欧米を訪問する。
  • 1873年……大久保利通(としみち)らと征韓論に反対する。
  • 1878年……暗殺された大久保利通に代わって内務卿となり,政府の中心的な存在になる。
  • 1881年……自由民権運動が高まるなかで10年後の国会開設を約束する。国会の早期開設を主張した大隈重信を政府から追放する。
  • 1882年……憲法調査のためにヨーロッパに渡り,おもにドイツ(プロイセン)の憲法を学ぶ。
  • 1885年……に派遣され,天津(てんしん)条約を結ぶ。内閣制度を創設して初代内閣総理大臣になる。
  • 1887年……憲法草案の作成,検討を進める。
  • 1888年……枢密院(すうみついん)を創設して初代議長となり,憲法草案の審議を行う。(枢密院は天皇に意見を述べる最高機関で,1947年まで存続した。)
  • 1890年……初代貴族院議長になる。
  • 1892年……第5代内閣総理大臣になる。
  • 1898年……第7代内閣総理大臣になる。政府を助けるための政党結成を主張するが反対され,辞任する。
  • 1900年……立憲政友会を結成して,初代総裁になる。第10代内閣総理大臣になる。
  • 1905年……漢城(朝鮮国の首都で現ソウル)に韓国統監(とうかん)府が設置されると。初代統監になる。
  • 1909年……ハルビン(中国)で朝鮮人の安重根(アンジュングン)に射殺される。