保元の乱
Last-modified: 2017-04-12 (水) 16:13:14
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保元の乱(ほうげんのらん) †
1156年 天皇と上皇の対立に,藤原氏の争いも加わって,京都でおこった内乱。 天皇方,上皇方がそれぞれ武士を用いて戦ったが,源義朝と平清盛を味方にした後白河天皇が勝利した。
後白河天皇はまもなく上皇になって院政をはじめたが,3年後には院政内の対立から平治の乱がおきている。
【参考】
保元の乱では,親族同士が戦った。
- 天皇方(勝者)
- 後白河天皇
- 藤原
忠通
- 平清盛
- 源義朝
- 上皇方(敗者)
崇徳 上皇……後白河天皇の兄。捕らえられて讃岐 (香川県)に流された。
- 藤原
頼長 ……藤原忠通の弟。矢にあたり,この傷がもとで死んだ。
- 平忠正……平清盛の叔父。捕らえられて処刑された。
- 源
為義 ……源義朝の父。捕らえられて処刑された。