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内閣不信任の決議

Last-modified: 2017-06-14 (水) 16:58:21
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内閣不信任の決議(ないかくふしんにんのけつぎ)

衆議院のもつ権限で,内閣に政治を任せることができないと決議すること。 国会内閣が対立して政治が進まなくなった場合にそなえた規定で,衆議院の出席議員の過半数の賛成で可決する。内閣不信任決議案が可決されると,内閣は総辞職するか,10日以内に衆議院を解散して総選挙を行わなければならない。

  • 内閣が総辞職した場合……国会が内閣総理大臣を指名する。
  • 内閣が衆議院を解散した場合……衆議院議員総選挙が行われる。選挙後,初めて召集された国会で,内閣は総辞職し,国会が内閣総理大臣を指名する。(この場合も内閣は総辞職することになるが,その前に総選挙で主権者である国民の意思を問うことができる。)

内閣不信任決議案が可決されたことは,過去に4回ある。

  • 1948年12月23日……衆議院を解散するために,与党・民主自由党と野党が話し合った上で,内閣不信任決議案を可決した。吉田茂(よしだしげる)首相は予定通り衆議院を解散した。当時は日本国憲法が施行されたばかりで,内閣に衆議院の解散権があるかないかが議論されていたため,このような形がとられた。その後,内閣に解散権(内閣不信任決議がなくても,内閣は衆議院を解散できる)が認められるようになっている。
  • 1953年3月14日……衆議院予算委員会で吉田茂首相が「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって政局が混乱し,与党・自由党が分裂した。自由党の脱党者たちが賛成に回ったため,内閣不信任決議案が可決され,吉田首相は衆議院を解散した。総選挙で自由党は過半数割れしたが,どうにか政権を維持することはできた。
  • 1980年5月16日……与党・自由民主党の内部対立が深刻化し,自民党議員69人が衆議院本会議を欠席したため,内閣不信任決議案が可決された。大平正芳(おおひらまさよし)首相は衆議院を解散し,参議院議員選挙と重なって初の衆議院と参議院の同時選挙となった。ところが選挙期間中に大平首相が急死し,選挙は同情票を集めた自民党の圧勝となってしまった。
  • 1993年6月18日…………選挙制度改革をめぐって与党・自由民主党が分裂し,内閣不信任決議案が可決された。宮沢喜一(みやざわきいち)首相は衆議院を解散したが,自民党からは離党者が続出した。総選挙で自民党は過半数の議席を獲得できず,日本新党・社会党・新生党・公明党・民社党・さきがけ・社民連などによる連立政権が成立し,自民党は1955年の結党以来,はじめて野党となった。

【参考】

衆議院は内閣信任決議案の議決を行うこともできる。内閣信任決議案が否決されたときは,内閣不信任決議案が可決されたときと同じく,内閣は総辞職するか,10日以内に衆議院を解散しなければならない。ただし,これまでに内閣信任決議案が否決されたことは1度もない。