勘合貿易
Last-modified: 2020-09-02 (水) 12:52:43
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勘合貿易(かんごうぼうえき) †
日本と
- 室町幕府の将軍が明の皇帝から日本国王の地位を授けられ,
貢 ぎ物を差し出す代わりに返礼を与えられるという朝貢 貿易の形をとったが,日本側の利益は大きかった。(当時の明は民間貿易を禁止する政策をとっていて,朝貢貿易だけを認めていた。)
- 日本はおもに銅・
硫黄 ・刀剣などを輸出し,生糸・絹織物・銅銭などを輸入した。
【勘合貿易の歴史】
- 1368年……明が中国を統一する。明は倭寇の取り締まりと使節の派遣を日本に求めたが,はじめは九州の南朝勢力と国交を結んでいた。
- 1401年……将軍足利義満が明に使いを送り,翌年日本国王の地位を授けられる。
- 1404年……明から室町幕府に勘合が届き,勘合貿易がはじまる。
- 勘合……明の発行する渡航許可証。文字の半分の印が押してあり,明側のもつもう半分と照らし合わせて,倭冦ではなく,正式な貿易船であることを確認した。
- 1411年……将軍足利
義持 が朝貢の形式を不満として勘合貿易を停止する。
- 1432年……将軍足利
義教 が「10年に1回の朝貢」などの条件で明と条約を結び,翌年から勘合貿易を再開する。
- 1467年……応仁の乱がはじまる。
- 1523年……中国の
寧波 で大内氏と細川氏の貿易船が争う。この事件がきっかけとなって大内氏が勘合貿易を独占する。
- 1551年……大内氏がほろんで,勘合貿易が途絶える。(この頃から,後期倭寇による密貿易がさかんになる。)