北方領土
Last-modified: 2018-10-11 (木) 16:40:46
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北方領土(ほっぽうりょうど) †
ロシア連邦が占拠している
【千島列島・
千島列島や樺太にはアイヌ民族などが先住していたが,19世紀後半頃から日本とロシアが領有を争うようになった。
- 1855年……日本(江戸幕府)とロシアが日露和親条約を結び,両国の国境を次のように定める。
- 千島列島……択捉島とウルップ島の間を両国の国境とする。
- 樺太……両国人
雑居 の地として,特に国境は定めない。
- 1875年……日本とロシアが樺太・千島交換条約を結び,千島列島(シュムシュ島からウルップ島)を日本領,樺太をロシア領とする。
- 1905年……ポーツマス条約で南樺太が日本領になる。
- 1917年……ロシア革命によってロシア帝国がほろび,社会主義のソビエト政府が成立する。
- 1922年……ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立する。
- 1945年
- 2月……アメリカ,ソ連,イギリスの首脳がヤルタで会談し,秘密協定でソ連の対日参戦と千島・樺太の領有を定める。
- 8月……ソ連が日ソ中立条約を一方的に
破棄 し,日本に宣戦 を布告,千島列島(北方領土をふくむ)や南樺太を占領する。
- 1951年……日本がアメリカなどとサンフランシスコ平和条約を結び,千島列島と南樺太の領有権を
放棄 する。
- 日本政府は北方領土は日本固有の領土であって,領有権を放棄した千島列島にはふくまれないと主張している。
- 日本政府は現在でも千島列島と南樺太がどの国に
帰属 するかは決まっていないという立場をとっている。国別に色分けした世界地図で,両地が白色になっているのはこのためである(実質的にはロシアが領有している)。
- 1956年……日本とソ連が日ソ共同宣言を発表して国交を回復する。北方領土問題のため,平和条約は結ばれなかった。
- 共同宣言では,日本とソ連は引き続き平和条約締結の交渉を続け,条約の締結後にソ連は日本に色丹島と歯舞群島を引き渡すものとしていた。
- 1991年……ソ連が解体する(平和条約は結ばれないままで終わる)。北方領土返還交渉は,日本とロシア連邦との間で行われることになる。
- 2008年……歯舞群島の名称が統一される。(法令などでは歯舞群島,地図などでは歯舞諸島とされていたが,根室市の要望で,国土地理院が地図の表記を歯舞群島に変更することを決定した。)
- 2016年……日本とロシアの首脳が,北方領土で共同経済活動を特別な制度の下で行うための交渉をはじめることを合意する。