参勤交代
Last-modified: 2019-05-21 (火) 16:21:33
Top / 参勤交代
参勤交代(さんきんこうたい) †
江戸幕府の定めた制度で,大名は1年おきに江戸と領地(藩)に住み,妻や子は江戸の屋敷に住まわされた。 大名を統制することが目的で,3代将軍徳川家光の武家諸法度改正(1635年)によって制度化された。
- 江戸と領地の間を移動するときは,家臣団をひきいた大名行列を行うことが義務づけられていた。
- 大名の妻子は江戸屋敷で生活したが,これは人質の意味もあった。
大名の経済力を弱めることが参勤交代の目的の一つで,大名行列や江戸屋敷の費用は大名にとって大きな負担となった。
【参考】
- 第8代将軍徳川吉宗は,享保の改革の1つとして,大名に石高1万石につき100石の米を納めさせる代わりに,江戸に住む期間を半年とする
上米 の制をとっている。(この制度は1772年から1780年まで行われた。)
- 1862年に幕府は参勤交代を3年に1回,江戸に住む期間を100日,大名の妻子の帰国を認めるなど,大幅な規制緩和を行っている。外国に対する日本全体の軍備の強化が目的であったが,幕府の力を弱めることになった。幕府は1865年に制度を元に戻そうとしたが,従わない藩も多いまま,1867年の大政奉還によって参勤交代は行われなくなっている。