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奥州藤原氏

Last-modified: 2019-12-05 (木) 12:33:06
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歴史Bランク

奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)

平安時代の後半に東北地方を支配した豪族。 平泉(ひらいずみ)(岩手県)を拠点とし,京都の文化を受け入れて,中尊寺金色堂(こんじきどう)を建てた。1189年,源頼朝によって攻めほろぼされている。

【参考】

11世紀の後半,東北地方では武士の争いから前九年合戦・後三年合戦という大きな戦乱がおきた。この争いをしずめて,東日本で勢力を広げたのが源義家(よしいえ)である(源頼朝は義家の孫の孫にあたる)。

  • 藤原清衡(きよひら)……父は藤原氏,母は陸奥(むつ)(岩手県)を支配していた安倍氏の出身である。前九年合戦で安倍氏がほろぶと出羽(でわ)(山形県・秋田県)の豪族である清原氏の養子になった。清原氏の内部対立から後三年合戦がおきると源義家に協力し,陸奥(むつ)(岩手県)を支配するようになった。姓を清原から藤原に戻したことから,奥州藤原氏の初代当主とされる。
  • 藤原基衡(もとひら)……清衡の子で奥州藤原氏の第2代当主。
  • 藤原秀衡(ひでひら)……基衡の子で奥州藤原氏の第3代当主。若き日の源義経を養育する。兄の源頼朝と対立して京都から脱走した義経を平泉に迎えたが,直後に病死する。
  • 藤原泰衡(やすひら)……秀衡の子で奥州藤原氏の第4代当主。源頼朝の要求を受けて,源義経を攻め殺した。しかし,頼朝は大軍をひきいて奥州藤原氏を攻撃し,敗れた泰衡は逃亡中に殺された。