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安政の大獄

Last-modified: 2018-09-11 (火) 09:53:41
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歴史Cランク

安政の大獄(あんせいのたいごく)

1858年〜1859年 江戸幕府の大老井伊直弼(なおすけ)が,幕府を批判する大名や武士,公家をきびしく処罰したこと。

幕府が朝廷の許可なく日米修好通商条約を結んだことから,これに反対する尊王攘夷運動が高まった。井伊直弼は開国や将軍のあとつぎ問題で対立していた大名・公家を処罰し,攘夷論をとなえた吉田松陰(しょういん)らを処刑した。

  • 安政……当時の元号。安政の大獄は安政5年から安政6年にかけて行われている。
  • 大獄……大きな事件で多くの人が捕らえられること。

この弾圧は幕府に対する反発を高めることになり,井伊直弼は桜田門外の変によって暗殺されている。

【安政の大獄のおもな処罰者】

  • 徳川斉昭(なりあき)……前水戸藩主で,徳川慶喜の実父。強行な攘夷論者として知られる。永蟄居(ちっきょ)(蟄居は家に閉じこもって謹慎すること)を命じられ,そのまま亡くなっている。
  • 徳川慶喜……当時は一橋家当主。日米修好通商条約について井伊直弼に抗議して隠居・謹慎を命じられる。後に謹慎を解除されて将軍後見職になり,さらに第15代将軍になっている。
  • 松平慶永(よしなが)……越前福井藩主。江戸城におしかけて井伊直弼に抗議したことから隠居・謹慎を命じられる。後に謹慎を解除されて幕府の政事総裁になっている。
  • 橋本左内……越前福井藩士。主君の松平慶永の命で徳川慶喜を将軍のあとつぎとする運動を行っていた。このことから幕府の取り調べを受け,斬罪(ざんざい)となっている。
  • 鵜飼幸吉(うがいこうきち)……水戸藩士。日米修好通商条約に不満を持つ孝明天皇の勅書を水戸藩に届けたことから,獄門(首をきってさらすこと)となった。京都で勅書をうけった幸吉の父は斬罪となっている。
  • 大名が勅書を直接受け取ることは幕府の権威を傷つけることになり,これが安政の大獄がはじまるきっかけとなった。
  • 幕府は勅書の返納を水戸藩に命じたが,これに反発した水戸藩士の一部が脱藩して,桜田門外の変をおこしている。
  • 梅田雲浜(うんぴん)……元小浜藩士。京都で攘夷を主張して幕政をきびしく批判したことから捕らえられ,獄死している。
  • 吉田松陰……長州藩士。ペリー再来航のときにアメリカに密航しようとして捕らえられ,長州に送り戻された。叔父の開いていた松下村塾を引きつぎ,高杉晋作・伊藤博文などを教えた。梅田雲浜との関係から取り調べを受けたが,老中暗殺を計画したことを自供して,斬罪となった。

西郷隆盛も幕府の追求を受けたが,薩摩藩は西郷が死んだことにして,種子島に潜伏させている。