室町幕府
Last-modified: 2020-07-16 (木) 15:32:28
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室町幕府(むろまちばくふ) †
1338年〜1573年
- 足利尊氏は1336年に北朝を成立させ,武家政権の方針を示した建武式目を制定していることから,この年に幕府は実質的に成立したとも考えられている。(1338年は尊氏が征夷大将軍に任じられた年である。)
- 1573年に第15代将軍足利
義昭 が織田信長に京都から追放されて,室町幕府は滅亡している。
- 京都から逃れた将軍は以前にもいたが,義昭は京都で政権に復帰することができなかったことから,1573年が幕府の滅亡した年とされている。
- 義昭は京都から追放された後も将軍として活動している。1576年からは毛利氏の保護で備後国(広島県)の
鞆 を拠点にしていて,これを鞆幕府とよぶことがある。
- 1587年に義昭は豊臣秀吉に降伏して京都に帰り,翌年将軍の職を辞している。
【室町幕府の歴代将軍】
- 足利尊氏……初代将軍(在職1338年〜1358年)。建武の新政から離反し,京都に幕府を開いた。
- 足利
義詮 ……第2代将軍(在職1358年〜1367年)。尊氏の子。弟の基氏 は鎌倉公方(鎌倉府の長官)になり,以降は義詮の血筋が将軍,基氏の血筋が鎌倉公方の地位についた。
- 足利
義持 ……第4代将軍(在職1394年〜1423年)。義満の子。明との国交を断絶し,勘合貿易を中断させている。
- 足利
義量 ……第5代将軍(在職1423年〜1425年)。義持の子。17歳で将軍となるが,在職2年ほどで病死してしまい,父の義持が政務を代行した。
- 足利
義教 ……第6代将軍(在職1428年〜1441年)。義満の子で義持の弟。義持があとつぎを指名しないまま死んだため,くじ引きで将軍に選ばれた。敵対する者をきびしく処罰するなど恐怖政治を行ったが,守護大名の赤松氏に暗殺された。
- 足利
義勝 ……第7代将軍(在職1442年〜1443年)。義教の子。9歳で将軍となるが,翌年,病死している。
- 足利
義政 ……第8代将軍(在職1449年〜1473年)。義教の子で義勝の弟。義政のあとつぎ争いが,応仁の乱の大きな原因となっている。
- 足利
義尚 ……第9代将軍(在職1473年〜1489年)。義政の子。幕府権力の回復に努めたが,23歳であとつぎのないまま病死している。
- 足利
義稙 ……第10代将軍(在職1490年〜1495年)。義政の弟の義視 の子。細川氏によって将軍の地位をうばわれる(明応の政変)。京都を脱出し,13年にわたって逃亡生活を続けた。
- 足利
義澄 ……第11代将軍(在職1495年〜1508年)。義政の兄の政知 の子。細川氏によって将軍にたてられたが,義稙に将軍の地位を奪回されている。
- 足利義稙……2度目の就任(在職1508年〜1522年)。細川氏内部の勢力争いを利用して,将軍に復帰した。再び細川氏と対立して1521年に京都を脱出したが,1523年に病死している。
- 足利
義晴 ……第12代将軍(在職1521年〜1546年)。義澄の子。将軍にはなったが,細川氏やその家臣の三好氏の争いにまきこまれ,京都には不在の時期が長かった。
- 足利
義輝 ……第13代将軍(在職1546年〜1565年)。義晴の子。父と同じく,京都不在の時期が長かった。将軍の権威復活に努力したが,三好氏によって暗殺された。
- 足利
義栄 ……第14代将軍(在職1568年)。義澄の孫で義輝のいとこ。義輝を暗殺した三好氏によって将軍にたてられたが,一度も京都に入らないまま,わずか8か月で病死している。
- 足利
義昭 ……第15代将軍(在職1568年〜1588年)。義晴の子で義輝の弟。織田信長によって将軍にたてられたが,のちに信長と対立して京都から追放されている,