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尊王攘夷運動

Last-modified: 2019-07-29 (月) 14:04:36
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歴史Aランク

尊王攘夷運動(そんのうじょういうんどう)

天皇を尊ぶ尊王論と外国人を追いはらおうとする攘夷論が結びつき,江戸時代末期に高まった運動のこと。

江戸幕府が朝廷の許可を得ないまま日米修好通商条約を結び,貿易がはじまって経済が混乱すると.下級武士や一部の公家を中心に尊皇攘夷の考えが広まっていった。大老の井伊直弼安政の大獄でこれをおさえようとしたが,桜田門外の変で暗殺された。京都を中心に尊王攘夷運動が高まり,外国人が襲撃されるなどの事件もおこった。

尊王攘夷運動の中心となった長州藩は,1863年に攘夷を実行して下関海峡を通過する外国船を砲撃したが,翌年,イギリス・フランス・アメリカ・オランダの連合艦隊から報復攻撃を受けて敗北した。攘夷が不可能であることが明らかになると,長州藩は薩摩藩と薩長同盟を結び,倒幕を目指すことになった。

なお,1865年に朝廷が幕府の強い働きかけで外国との条約を認めているので,この時点で国の政策としての攘夷は不可能となった。その後は不平等条約の撤廃(条約改正)が大きな課題になっている。

【注意】

「尊王攘夷」はもともと中国の春秋戦国時代にできた言葉で,周の王をとうとび,周辺の異民族を打ち払うことを意味した。幕末の日本では「尊皇攘夷」とも書いたが,学校のテストでは「尊王攘夷」と書く方が確実である。