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島原・天草一揆

Last-modified: 2019-05-27 (月) 12:49:39
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歴史Aランク

島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)

1637年〜1638年 島原半島(長崎県)と天草島(熊本県)でおこった,キリシタン(キリスト教徒のこと)を中心とする農民一揆。 「島原の乱」ともいう。

きびしい年貢(ねんぐ)の取り立てとキリシタンの取り締まりが原因となり,天草四郎時貞(ときさだ)を首領とする約4万の農民が挙兵した。江戸幕府は西国大名に命じて鎮圧(ちんあつ)にあたったが,一揆勢は原城(あと)に立てこもって抵抗を続け,幕府の派遣した責任者が戦死するありさまであった。幕府は12万の兵を動員し,オランダの協力も得て原城を落城させ,一揆を鎮圧した。この一揆の後,幕府のキリスト教禁止はさらに強化され,ポルトガルと断交することによって鎖国が完成している。

  • 島原はかつてキリシタン大名有馬晴信(ありまはるのぶ)の領地であったことから,キリシタンが多かった。また一揆には有馬氏の旧家臣も多く参加していて,原城も有馬氏の元居城であった。
  • 日本でキリスト教布教に力を入れていたのは,カトリックの国であるポルトガル,スペインであり,キリシタンはカトリック教徒である。プロテスタントの国であるオランダは,ポルトガルに対抗する意味もあって,幕府に協力している。
  • 一揆の直接の原因は当時の島原藩主松倉勝家の悪政にあったとされ,勝家は幕府によって打ち首にされている(江戸時代に大名が切腹でなく,打ち首になったのはこのときだけである)。