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平清盛

Last-modified: 2019-06-26 (水) 16:25:20
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歴史Aランク

平清盛(たいらのきよもり)

1118年〜1181年 平安時代末期の武将で,武士として初めての政権を打ち立てた。 平氏の出身。保元の乱平治の乱に勝利して政治の実権を握り,1167年には太政大臣(だいじょうだいじん)の地位についた。娘を天皇のきさきにして生まれた子を天皇にたて,一族で朝廷の高い地位を独占して多くの荘園を支配した。また,大輪田泊(神戸の港)を整備して,(中国)との貿易を推進した。藤原氏をまねた清盛の政治は都の貴族と地方の武士の両方の不満を高めることになり,源氏が各地で挙兵するなかで清盛は病死した。


【平清盛】

  • 1118年……伊勢平氏の棟梁(とうりょう),平忠盛の子として生まれる。なお,清盛の実父は白河法皇で,忠盛が引き取って育てたという説もある。
  • 伊勢平氏は今の三重県を拠点とする平氏の一族。忠盛は白河法皇・鳥羽法皇に重く用いられて,勢力をのばした人物である。
  • 1153年……伊勢平氏の棟梁となる。
  • 1156年……天皇家や藤原氏の勢力争いから保元の乱がおこる。清盛は源義朝らとともに後白河天皇方について勝利する。
  • 1159年……後白河上皇の政権内の争いから,源義朝らが兵をあげて,平治の乱がおこる。戦いは清盛の勝利に終わり,義朝は逃亡中に殺され,子の源頼朝伊豆(いず)に流される。
  • 1167年……太政大臣になる。
  • 1171年……娘の徳子を高倉天皇の中宮とする。
  • 1173年……大輪田泊(現在の神戸港)を修築し,宋(中国)との貿易を推進する。
  • 1179年……後白河法皇との対立が深まる。軍勢をひきいて京都を制圧し,法皇を幽閉する。
  • 1180年
  • 4月……徳子の生んだ安徳天皇を即位させる。
  • 5月……以仁王(もちひとおう)(後白河法皇の子)が平氏打倒の兵をあげるが,宇治平等院で敗死する。しかし,以仁王の平氏追討命令が全国に伝えられる。
  • 6月……都を平氏の拠点である福原(神戸市)にうつす。
  • 8月……源頼朝が兵をあげる。翌月には,頼朝のいとこである源義仲(よしなか)も兵をあげる。
  • 11月……都を京都にもどす。
  • 1181年……熱病にかかって,京都で死去する。

【平清盛の死後の動き】

  • 1183年
  • 7月……源義仲の軍勢が京都にせまり,平氏は安徳天皇をつれて西国に逃れる。義仲が京都に入る。
  • 8月……京都で安徳天皇の異母弟が後鳥羽天皇として即位し,一時的に天皇が2人いる状態になる。
  • 10月……源義仲と対立した後白河法皇が,鎌倉を拠点にしていた源頼朝の東国支配権を認める。頼朝は弟の範頼(のりより)義経(よしつね)を京都に向かわせる。
  • 11月……源義仲が後白河法皇を幽閉する。
  • 1184年
  • 1月……源義仲が範頼・義経軍と戦って敗死する。勢力を回復した平氏の軍が大輪田泊に上陸する。
  • 2月……一の谷(神戸市)の戦いで,源氏が平氏を破る。源義経の奇襲は「鵯越(ひよどりごえ)(さか)落とし」として有名である。
  • 1185年
  • 2月……四国に出陣した義経が平氏の本拠地となっていた屋島(高松市)を攻め落とす。同時期に範頼が九州を攻めており,平氏は彦島(下関市)に孤立することになる。
  • 4月……壇ノ浦の戦い(下関市)で平氏がほろびる。安徳天皇は祖母の二位の尼(時子−清盛の妻)とともに入水して亡くなり,天皇が2人という状態は解消される。