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後醍醐天皇

Last-modified: 2018-01-09 (火) 12:37:05
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歴史Aランク

後醍醐天皇(ごだいごてんのう)

1288年〜1339年 鎌倉幕府をほろぼして,建武の新政を行った天皇。 楠木正成(くすのきまさしげ)などの新興武士,足利尊氏などの有力御家人を味方につけて,1333年に鎌倉幕府をほろぼした。しかし,公家重視の政策が武士たちの不満を高め,足利尊氏の挙兵によって,建武の新政は2年余りで失敗に終わった。尊氏は京都に新しい天皇を立て,後醍醐天皇は吉野(奈良県)にのがれたことから,京都の北朝と吉野の南朝が対立する南北朝時代となった。


【後醍醐天皇】

  • 1318年……天皇に即位する。天皇親政の復活を希望し,鎌倉幕府打倒を計画するようになる。
  • 1324年……幕府打倒計画が発覚するが,家臣が責任を負い,天皇は処罰されずにすむ。
  • 1331年……幕府打倒のために挙兵するが敗北,幕府に捕らえられる。
  • 1332年……幕府は後醍醐天皇を隠岐(おき)に流し,光厳(こうごん)天皇を即位させる。その後も楠木正成らが幕府に対する抵抗を続ける。
  • 1333年……隠岐を脱出して再び挙兵する。北条氏の独裁に不満を持つ御家人の足利尊氏や新田義貞(にったよしさだ)を味方につけて,ついに鎌倉幕府をほろぼす。京都に帰還し,光厳天皇の即位を否定する。(光厳天皇が北朝初代天皇とされているのは,このためである。)
  • 1334年……年号を建武に改める(この年号をとって,後醍醐天皇の政治を建武の新政という)。公家中心の政策に対して武士や農民の不満が高まる。
  • 1335年……足利尊氏が建武の新政から離反する。
  • 1336年……京都を占領した足利尊氏と講和して三種の神器(じんぎ)を引き渡し,尊氏は光明(こうみょう)天皇(光厳天皇の弟)をたてる。まもなく後醍醐天皇は京都を脱出し,尊氏に渡した三種の神器はにせ物であったとして,吉野に朝廷を開く。南朝(吉野の朝廷)と北朝(京都の朝廷)の対立がはじまる。
  • 三種の神器……八咫鏡(やたのかがみ)草薙剣(くさなぎのつるぎ)八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)の3つの神宝で,皇位の象徴とされている。
  • 1338年……新田義貞が戦死するなど,南朝側の苦戦が続く。
  • 1339年……吉野で病没する。

【後醍醐天皇の皇子たち】

  • 護良(もりよし/もりなが)親王……後醍醐天皇が隠岐に流されている間も幕府と戦い続けた。建武の新政では征夷大将軍に任じられたが,父の後醍醐と対立して解任され,足利尊氏に引き渡された。鎌倉に送られ,ここで殺害された。
  • 尊良(たかよし/たかなが)親王……新田義貞とともに北陸で北朝勢力と戦う。金ヶ崎城が陥落したときに新田義顕(よしあき)(義貞の子)らとともに自害した。
  • 恒良(つねよし/つねなが)親王……後醍醐天皇が尊氏と和を結んだとき,父から皇位を譲られて新田義貞に同行した(後醍醐天皇が南朝を開いたため,歴代天皇には数えられていない)。金ヶ崎城で捕らえられ,京都で死んだ(尊氏の命令で毒殺されたという。)
  • 成良(なりよし/なりなが)親王……建武の新政では鎌倉府将軍になる。後醍醐天皇が尊氏と和を結んだときに,光明天皇の皇太子となるが,まもなく廃された。尊氏の命令で恒良親王とともに毒殺されたという。
  • 義良(のりよし/のりなが)親王……建武の新政では奥州(東北地方)に送られてここを拠点とする。南朝成立後,再び奥州に向かうが,暴風にあって吉野に帰った。後醍醐天皇の死後即位して,後村上天皇になる。何回か京都を占領するが,いずれも奪回されている。
  • 懐良(かねよし/かねなが)親王……南朝の征西大将軍として,九州に勢力を築く。と国交を結んで,日本国王の地位を授けられたこともある。その後は足利勢に圧迫され,筑後矢部にこもってここで亡くなったという。