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徳川家康

Last-modified: 2018-09-05 (水) 10:21:43
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歴史Aランク

徳川家康(とくがわいえやす)

1542年〜1616年 江戸幕府の初代将軍。 三河(みかわ)(愛知県)の戦国大名の子として生まれる。織田信長と同盟を結んで勢力を拡大し,信長の死後は豊臣秀吉の全国統一に協力した。関ヶ原の戦いの勝利によって全国を支配する実権をにぎり,征夷大将軍となって江戸に幕府を開いた。

【徳川家康の肖像画】

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【徳川家康】

三河の戦国大名松平広忠(まつだいらひろただ)の子として生まれる。松平氏の力は弱く,幼くして駿河(するが)遠江(とおとうみ)(静岡県)を支配する今川氏の人質となる。幼名は竹千代(たけちよ)で,次いで元信(もとのぶ)元康(もとやす)と名のった。

  • 1549年……父の広忠が死ぬが,三河に帰ることは許されず,三河は今川氏に支配される状態になる。
  • 1560年……今川義元(よしもと)桶狭間(おけはざま)の戦いで織田信長に討たれたことによって自立の機会を得る。
  • 1562年……信長と同盟を結ぶ。この同盟は信長が死ぬまで続いた。
  • 1563年……義元から授けられた「元」の字を捨てて,家康と改名する。
  • 1566年……三河の一向一揆をしずめて,三河を統一する。名字を松平から徳川に改める。
  • 源氏の一門である得川(えがわ/とくがわ)氏の子孫であるとして徳川に改称した。なお,これは家康個人の改称であって,一族は引き続き松平を名のった。家康の子でも4人しか徳川を名のることは認められていない。
  • 1569年……遠江を支配し,翌年浜松城を築いて拠点とする。
  • 1570年……信長を助けて姉川の戦いで朝倉・浅井連合軍を破る。
  • 1572年……京都に向かう武田信玄(しんげん)三方原(みかたがはら)で戦って敗れる。(信玄はまもなく病死して,武田軍は引き上げた。)
  • 1575年……信長の援軍を得て,武田勝頼(かつより)(信玄の子)を長篠(ながしの)の戦いで破る。
  • 1582年……信長とともに武田氏をほろぼし,駿河を領国とする。本能寺の変で信長が殺される。
  • 1584年……信長の次男の織田信雄(のぶかつ/のぶお)を助け,小牧(こまき)長久手(ながくて)の戦いで豊臣秀吉と戦う。信雄が秀吉と単独講和したため,家康も秀吉と講和する。
  • 1586年……秀吉の妹を妻にする。大阪城で秀吉に臣従する。
  • 1590年……秀吉の命令で,領地が東海地方から関東地方に移される。江戸を本拠として,開発に力を入れる。
  • 1598年……秀吉が病死する。豊臣政権下で最高実力者となる。
  • 1600年……関ヶ原の戦いで石田三成(みつなり)ら反対派を破り,徳川政権を確立する。
  • 1603年……征夷大将軍になって,江戸に幕府を開く。
  • 1605年……三男の秀忠(ひでただ)に将軍職を譲り,駿府(すんぷ)(静岡市)に移るが,その後も大御所として政治の実権を握り続けた。
  • 1615年……大阪夏の陣で豊臣氏をほろぼす。秀忠の名で武家諸法度などを制定する。
  • 1616年……駿府で死去。東照大権現(とうしょうだいごんげん)として日光にまつられる。

【家康の子どもたち】

  • 松平信康……長男。織田信長の娘婿となるが,母が今川氏の出身であったことから信長の要求で切腹させられた。
  • 結城(ゆうき)秀康……次男。豊臣秀吉の養子(実質的には人質)となり,秀吉に子が生まれると,結城氏をついだ。のち福井藩の藩主となり,亡くなる前に松平の名字に戻っている。
  • 徳川秀忠……三男。江戸幕府の第2代将軍になる。
  • 松平忠吉(ただよし)……四男。尾張(おわり)藩主になるが,若くして病死する。
  • 武田信吉(のぶよし)……五男。ほろんだ武田氏を継いだ。水戸(みと)藩主になるが,若くして病死する。
  • 松平忠輝(ただてる)……六男。越後高田藩主となるが,後に領地を没収されて流罪になった。家康との対立が原因だったともいわれる。
  • 徳川義直(よしなお)……九男。兄忠吉の死後,尾張藩主となる。義直の血筋を尾張徳川家という。
  • 徳川頼宣(よりのぶ)……十男。兄信吉の死後,水戸藩主になるが,後に駿府藩主さらに紀州藩主に転ずる。頼宣の血筋を紀州徳川家という。なお,秀忠直系の血筋が絶えた後,頼宣の孫が将軍になるが,これが第8代将軍吉宗(よしむね)である。
  • 徳川頼房(よりふさ)……十一男。兄頼宣に代わって水戸藩主となる。頼房の血筋を水戸徳川家という。