徳川慶喜
Last-modified: 2020-03-03 (火) 14:52:24
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徳川慶喜(とくがわよしのぶ) †
1837年〜1913年 江戸幕府の第15代将軍で,
倒幕運動が高まるなかで,政権を天皇に返した(大政奉還)。翌年,新政府が慶喜に官職と領地の返上をせまると,鳥羽・伏見の戦いをおこすが敗北し,江戸に帰還した。新政府軍が江戸にせまるなかで,江戸城を開城し,政治の世界から去った(ただし,明治時代に貴族院議員になっている)。
王政復古の大号令によって征夷大将軍が廃されたことから,慶喜は「最後の将軍」ともよばれている。
【徳川慶喜】
- 1858年
- 5月……大老井伊直弼が,紀州藩主徳川
慶福 を次期将軍に決定する。
- 6月……井伊直弼が日米修好通商条約を結ぶ。これに抗議した慶喜は
謹慎 を命じられる。
- 10月……徳川慶福が第14代将軍になり,名を
家茂 と改める。
- 1860年……井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)
- 1862年……第14代将軍徳川家茂の後見職として,政界に復帰する。
- 1864年……朝廷を警護する役職に任命され,京都で活動する。
- 1866年……急死した家茂を継いで第15代将軍となる(この後も京都での活動を続けたため,慶喜は将軍在任中は一度も江戸城に入城していない)。フランスの協力を得て幕府の軍制改革に努力する。
- 1867年……倒幕派に対抗するため,政権を朝廷に返す(大政奉還)。倒幕派は王政復古の大号令を発し,慶喜を除いた新政府の樹立を決定する。
- 1868年……鳥羽・伏見の戦いに敗れて江戸に帰る。新政府に従うことを決意して,江戸城を無血開城する。
- 1902年……公爵の位を授けられ,貴族院議員となる。