憲政の常道
Last-modified: 2017-05-02 (火) 14:54:24
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憲政の常道(けんせいのじょうどう) †
政党内閣によって政治が行われるという慣例のこと。 第2次護憲運動後,日本では憲政会(のちに立憲民政党)または立憲政友会の党首が内閣総理大臣となって政権を担当した。衆議院で多数の議席をしめる政党の党首が政権を担当することは,大日本帝国憲法にかなった方法であるとされ,「憲政の常道」とよばれた。
【憲政の常道】
- 1924年〜1926年 加藤高明内閣(憲政会)
- 1926年〜1927年
若槻 礼次郎内閣(憲政会)
- 1927年〜1929年 田中義一内閣(立憲政友会)
- 1929年〜1931年 浜口
雄幸 内閣(立憲民政党)
- 1931年 若槻礼次郎内閣(立憲民政党)
- 1931年〜1932年 犬養毅内閣(立憲政友会)
1932年の五・一五事件で,憲政の常道は終わることになった。