承久の乱
Last-modified: 2020-05-18 (月) 12:24:57
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承久の乱(じょうきゅうのらん) †
1221年 京都の朝廷と鎌倉幕府の間におこった争乱で,戦いは幕府側の勝利に終わり,西日本でも幕府の力が強まることになった。
朝廷勢力の回復に力を入れていた
- 後鳥羽上皇とその子である
土御門 上皇・順徳 上皇の3上皇が幕府によって流罪となった。
- 後鳥羽上皇……
隠岐 (島根県)に流され,ここで亡くなった。
- 土御門上皇……乱には関係していなかったので,幕府は処罰しようとしなかったが,本人の望みで
土佐 (高知県)に流された。のちに阿波 (徳島県)に移されて,ここで亡くなった。
- 順徳上皇……父の計画に積極的に協力した。
佐渡 (新潟県)に流され,ここで亡くなった。
- 幕府は京都に六波羅探題を設置し,朝廷の監視や西日本の武士の統制を行った。
- 幕府は上皇側に味方した貴族や西日本の武士の土地を取り上げ,東日本の武士をその土地の地頭に任命した。こうして,幕府の支配力が西日本までおよぶことになった。