トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS


日米修好通商条約

Last-modified: 2019-07-29 (月) 12:56:43
Top / 日米修好通商条約

歴史Aランク

日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)

1858年 江戸幕府がアメリカ合衆国と結んだ通商条約で,日本に不利な不平等条約であった。 「修好」は国と国が親しく交際すること,「通商」は外国と商業取引をすること。

おもな内容は,次の通りである。

  • 函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)を貿易港として開き,外国人の居住などを認める。
  • 神奈川……東海道の宿場でもある神奈川の開港を危険と判断した幕府は,東海道から離れている横浜を代わりに開港した。小さな漁村であった横浜は,以後貿易港として大きく発展した。
  • 兵庫……京都に近いことから朝廷の反対などで開港がおくれ,1867年に兵庫津(ひょうごのつ)(当時の港)よりも東にあった「神戸宿」が兵庫港として開港された。後に神戸港と改名されている。
  • アメリカ人が江戸・大阪で商品を売買することを認める。
  • 日本に輸出入する商品の関税は,あらかじめ両国で協議して定める。
  • 国家が自主的に関税率(輸入品にかける税の率のこと)を定める権利を関税自主権という。この規定では日本に関税自主権がないので,安い輸入品に高い関税をかけて,国内の産業を保護することができなかった。
  • 日本で犯罪を犯したアメリカ人は,アメリカの領事によりアメリカの法律で裁判をされると定めた。このような特権を治外法権ともいう。

この条約は,日本に関税自主権がない,アメリカの領事裁判権を認めるなど,日本に不利な不平等条約であった。幕府は同じ年にイギリス,フランス,ロシア,オランダとも通商条約を結んだ(まとめて,「安政の五か国条約」という)が,どれも不平等条約であり,条約改正がその後の日本の大きな課題になった。

【通商条約の影響】

国内経済が混乱することになった。

  • 外国から安い綿糸や綿製品が輸入されるようになり,国内産業が大きな打撃を受けた。
  • 生糸や茶の輸出がさかんになったが,国内では品不足が深刻になり,物価が急上昇した。
  • 日本の金貨が海外に大量に流出した。
  • 当時の金と銀の交換比率は,欧米では1:15であったが,日本では1:5であった。そのため,外国人は銀貨を日本に持ちこんで金貨と交換するだけで,利益をあげることができた。(重量で説明すると,日本で銀貨5g分を金貨1g分に交換して自国に持ち帰ると,自国では金貨1g分を銀貨15g分に交換できるので,銀貨が3倍になった。そのため,交換の手数料や運送の経費を差し引いても,利益は大きなものになった。)
  • 幕府は金の含有量を減らした新しい金貨をつくって対応した。しかし,これによって金貨の価値が下がり,物価の上昇がさらに激しくなった。

幕府が朝廷の許可を得ないまま条約を結んだこともあり,条約の破棄を求めて尊王攘夷運動が高まることになった。