トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS


日露戦争

Last-modified: 2019-07-30 (火) 12:29:21
Top / 日露戦争

歴史Aランク

日露戦争(にちろせんそう)

1904年〜1905年 韓国(朝鮮)・満州(中国東北部)をめぐって対立を深めていた日本とロシアの間でおこった戦争。 ロシアは義和団事件後も満州の占領を続け,韓国にも勢力をひろげようとして,日本との対立を深めた。1902年の日英同盟でイギリスの支持を得た日本は,1904年2月に戦争を開始し,おもに朝鮮半島と満州南部でロシア軍と戦った。戦いは日本に有利であったが,日本の戦力は限界に達し,ロシアでも革命運動が高まるなど,両国とも戦争の継続が困難になっていった。このため,アメリカ大統領の仲立ちによってポーツマス条約が結ばれ,戦争は終わった。

【日露戦争前後の列強の関係】

  • 日露戦争の前……アジアをめぐってロシアと対立を深めていたイギリスは,日英同盟を結んで日本を援助した。満州進出をねらうアメリカも,日本の戦費調達に協力した。フランスはロシアを資金援助していた。
  • 日露戦争の後……南満州での利益を独占しようとした日本は,ロシアと日露協約を結び,日本とロシアで満州を分割しようとした。そのため,満州への経済的進出をねらうアメリカ,イギリスと日本の対立が深まっていった。(1917年にロシア革命がおこり,日露協約は破棄されている。)

【日露戦争】

  • 1894年……ロシア,ドイツ,フランスの三国干渉によって,日本は遼東(リアオトン)半島を返還する。
  • 1898年……ロシアが清から遼東半島を租借(そしゃく)し,旅順(リュイシュン)に艦隊を配置する。
  • 旅順……遼東半島の先端にあり,清の艦隊の軍港になっていた。
  • 1900年……義和団事件を理由にロシアが満州を占領する。日本,イギリス,アメリカが撤兵を要求するが,占領を続ける。
  • 1902年……日英同盟が結ばれる。日本国内では主戦論と非戦論が戦わされる。
  • 主戦論……ロシアとの戦争に賛成する主張。1903年には東大の7人の博士が主戦論をとなえる意見書を政府に提出して話題をよんだ。
  • 非戦論……ロシアとの戦争に反対する主張。幸徳秋水(こうとくしゅうすい)が社会主義の立場から,内村鑑三(うちむらかんぞう)がキリスト教徒の立場から非戦論をとなえた。
  • 1903年……日本政府とロシア政府の間で交渉が行われる。日本側は朝鮮半島を日本,満州をロシアの支配下におく妥協案を提出するが,まとまらなかった。日本ではシベリア鉄道の全線開通前に戦争を行おうという気運が高まっていった。
  • 1904年
  • 2月……日本の軍艦が旅順港のロシア艦隊を攻撃し,日露戦争がはじまる。同日,日本軍が仁川(インチョン)(朝鮮半島西部の港町)に上陸する。高橋是清(これきよ)が戦時公債募集のためにアメリカやイギリスを訪問する。(戦時公債は戦争の費用にするための国の借金のこと。募集は成功するが,この借金の返済は戦後,日本の大きな負担になっている。)
  • 8月……日本軍が旅順を総攻撃するが,死傷者1万5千という損害を出して失敗する。
  • 9月……日本軍が遼陽(りょうよう)(満州の主要都市)を占領,ロシア軍は奉天(ほうてん)(現在のシェンヤン)まで撤退する。与謝野晶子(よさのあきこ)の「君死にたまふことなかれ」が発表される。(「君」は旅順攻囲戦に参加していた弟のこと。)
  • 10月……ロシアのバルチック艦隊がヨーロッパから日本に向けて出航する。(苦戦する太平洋艦隊の増援として,日本へ派遣された。)
  • 1905年
  • 1月……5か月におよぶ戦闘の末,日本軍が旅順を占領する。ロシアの首都ペテルブルクでデモ中の労働者が軍隊に射殺される「血の日曜日事件」がおこり,革命運動が高まる。
  • 3月……日本軍が奉天を占領するが,両軍とも損害が大きく(死傷者はロシア側が9万人,日本側が7万人),にらみ合いの状態になる。
  • 5月……日本の連合艦隊が,バルチック艦隊を撃破する(日本海海戦)。
  • 6月……アメリカ大統領が日本とロシアに講和を勧告する。
  • 8月……アメリカのポーツマスで講和会議がはじまる。
  • 9月……ポーツマス条約が結ばれる。条約の内容に不満をもつ民衆によって,日比谷焼き打ち事件おこる。