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条約改正

Last-modified: 2017-04-06 (木) 13:02:52
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歴史Bランク

条約改正(じょうやくかいせい)

江戸幕府が結んだ不平等条約を改正すること。 明治政府は条約改正に努力し,法律の整備や欧化政策を進めた。1894年に領事裁判権治外法権)の撤廃(てっぱい)に成功し,1911年には関税自主権を回復して,完全に対等な条約になった。


【条約改正】

  • 1858年……江戸幕府が日米修好通商条約を結ぶが,アメリカの領事裁判権(治外法権)を認める,日本に関税自主権がないなど,日本に不利な不平等条約であった。幕府はイギリス,フランス,ロシア,オランダとも同様の条約を結んだ(まとめて「安政の五カ国条約」ともいう)。
  • 1871年……岩倉使節団が派遣される。条約改正の予備交渉(こうしょう)も行われるが,打ち切りとなる。
  • 1873〜1879年……寺島宗則(むねのり)が交渉する。アメリカとの間で関税自主権を回復する条約が結ばれたが,イギリスやドイツの反対で無効となる。
  • 1879〜1887年……井上(かおる)が交渉する。社交場の鹿鳴館(ろくめいかん)を建設するなどの欧化政策が国民の反発を受けたこともあって失敗する。
  • 1886年……ノルマントン号事件がおこり,条約改正を求める世論が高まる。
  • ノルマントン号事件……イギリス船ノルマントン号が和歌山県沖で沈没し,日本人乗客全員が水死した事件。イギリスの領事裁判所は,イギリス人船長らに軽い罰を与えただけだった。
  • 1888〜1889年……大隈重信が交渉する。領事裁判権を撤廃する代わりに,外国人裁判官を任用するという計画が強い反対を受け,爆弾を投げつけられた大隈が負傷し,交渉は中止となる。
  • 1891年……青木周蔵が交渉する。イギリスとの間で領事裁判権の撤廃交渉が進んだが,大津事件で青木が辞職したために挫折(ざせつ)する。
  • 大津事件……来日中のロシア皇太子ニコライが巡査に斬りつけられて負傷した事件。
  • 1894年……陸奥宗光が交渉する。イギリスと日英通商航海条約を結び,領事裁判権(治外法権)の撤廃と,関税自主権の一部回復に成功する。アメリカなどとも同内容の条約が結ばれる。
  • 1911年……小村寿太郎が交渉する。日米通商航海条約を改正して関税自主権を完全に回復した(条約改正の完成)。