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板垣退助

Last-modified: 2019-04-15 (月) 12:47:02
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歴史Aランク

板垣退助(いたがきたいすけ)

1837年〜1919年 明治時代の政治家で,自由民権運動の中心的存在として知られる。 征韓論に敗れて政府を去り,国会開設を求めて自由民権運動をおこした。1881年には自由党を結成して総理(党首)になっている。


【板垣退助】

土佐藩(高知県)出身。 倒幕運動に参加し,戊辰戦争では参謀(さんぼう)として活躍した。

  • 1869年……参与として明治政府に加わる。2年後には参議になる。
  • 1873年……征韓論を主張したが受け入れられず,西郷隆盛らとともに政府を辞職する。
  • 1874年……東京で愛国公党を組織し,政府に民撰議院設立建白書を提出する。高知県に立志社を設立する。
  • 1875年……大阪で愛国社を結成する。大久保利通のすすめで参議として政府に復帰するが,短期間で辞職する。
  • 1878年……板垣の政府復帰などによって活動を停止していた愛国社を再興する。
  • 1882年……岐阜で遊説(ゆうぜい)中に暴漢に襲われ負傷する。このとき「板垣死すとも自由は死せず」と言ったとされる。
  • 1884年……自由民権運動が激化するなかで,自由党を解党する。
  • 1890年……帝国議会開設。旧自由党を再興して立憲自由党(翌年,自由党に改称)を結成する。
  • 1898年……自由党が大隈重信の進歩党と合同して憲政党になる。大隈を首相,板垣を内相とする内閣が成立するが,4か月あまりで憲政党は分裂し(旧自由党系が憲政党の名を引きつぎ,旧進歩党系は憲政本党を名乗る),内閣はたおれる。
  • 1900年……伊藤博文が憲政党を中心に立憲政友会を結成する。板垣はこれを機会に政界から引退する。