樺太・千島交換条約
Last-modified: 2017-02-21 (火) 16:34:10
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樺太・千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく) †
1875年 日本とロシアの間で調印された国境確定条約で,千島列島が日本領,樺太がロシア領になった。
【千島列島と樺太】
- 日露和親条約(1854年)……江戸幕府とロシア帝国が結んだ条約。千島列島の
択捉 島と得撫 島の間を日本とロシアの国境とし,樺太については両国の雑居 地として国境を定めなかった。(現在,日本政府はこの条約が結ばれた2月7日を「北方領土の日」としている。)
- 樺太・千島交換条約(1875年)……明治政府とロシア帝国が結んだ条約。日本は樺太を
放棄 するかわりに,千島列島の全島(18島)を日本領とした。
- ヤルタ会談(1945年)……アメリカ,イギリス,ソ連による首脳会談で,ソ連の対日参戦と千島列島・南樺太の領有を定める密約が結ばれる。ソ連はこれに基づいて8月に日本に宣戦し,千島列島・南樺太を占拠した。
- サンフランシスコ平和条約(1951年)……第二次世界大戦の講和条約。日本は南樺太と千島列島の領有権を
放棄 した。
- 日本政府は,南樺太と千島列島の帰属は未確定という立場をとっている。(学校で使う地図で,南樺太と千島列島がどの国の領土であるか明記されていないのはこのためである。)
- 日本政府は,
択捉 島,国後 島,色丹 島,歯舞 群島に関しては,日本の放棄した千島列島にはふくまれない固有の領土(北方領土)であるとして,ソ連および1991年のソ連解体後はロシアに返還を求めている。