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異国船打払令

Last-modified: 2017-02-20 (月) 14:25:48
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歴史Aランク

異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)

1825年 江戸幕府が外国船を追い払うために出した法令で,「外国船打払令」ともいう。 18世紀の終わり頃から日本近海に外国船がしばしば出現するようになったが,江戸幕府は鎖国を続けるため,異国船打払令を出して次のように定めた。

  • 日本沿岸に接近する外国船は,見つけ次第砲撃して追い払うこと。
  • 外国船が逃げた場合は,追わなくてもよい。
  • 外国人が上陸した場合は逮捕すること。その場で殺してもかまわない。

アヘン戦争で敗れたという情報が幕府に入ったことから,外国との紛争を防ぐため,1842年に異国船打払令は廃止されている。


【外国船の来航】

  • 1792年……ロシア使節ラクスマンが日本人漂流民大黒屋光太夫(こうだゆう)らを連れて根室に来航し,通商交渉を要望する。
  • 1793年……ラクスマンが箱館(現在の函館)に廻航(かいこう)し,光太夫らを引き渡す。ラクスマンは幕府使節から長崎の入港許可書を受け取って帰国する。
  • 1804年……ロシア使節レザノフが入港許可書をもって長崎に来航する。出島で半年待たされた上,通商を拒絶される。
  • 1808年……イギリス軍艦フェートン号が長崎に侵入し,オランダ商館員を人質にして,水や食料を要求する(フェートン号事件)。この事件が異国船打払令が発せられる大きな原因となった。
  • 1825年……幕府が異国船打払令を発する。
  • 1837年……日本人漂流民をのせて浦賀に来航したアメリカ船モリソン号を幕府が砲撃して退去させる(モリソン号事件)。
  • 1839年……モリソン号事件について幕府を批判したとして渡辺崋山(かざん),高野長英らの蘭学者が処罰される(蛮社(ばんしゃ)の獄)。
  • 1842年……アヘン戦争での清の敗北を知った幕府は。異国船打払令を廃止し,薪水(しんすい)給与令を定める。(来航した外国船に水や燃料を与えて,退去を求めることにした。)
  • 1844年……オランダ国王が幕府に開国をすすめる親書を送る。
  • 1846年……アメリカ軍人ビッドルが軍艦2隻をひきいて浦賀に来航する。幕府に開国を求めるが,拒絶されて退去した。
  • 1853年……アメリカ軍人ペリーが軍艦4隻をひきいて浦賀に来航,軍事力を背景にして幕府に大統領国書をわたす。ロシア軍人プチャーチンが艦隊をひきいて長崎に来航し,開国を要求する。
  • 1854年……ペリーが国書の返答を求めて再び浦賀に来航し,幕府は日米和親条約を結ぶ。