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第一次護憲運動

Last-modified: 2020-07-30 (木) 16:02:09
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第一次護憲運動(だいいちじごけんうんどう)

1912年〜1913年 藩閥中心の内閣を批判し,憲法に基づく政治を守ることを求める運動のこと。 この運動は民衆の強い支持を受け,内閣は総辞職に追いこまれている。


【第一次護憲運動】

1901年から,長州藩出身の陸軍軍人(かつら)太郎と,立憲政友会の総裁西園寺公望(さいおんじきんもち)が交互に内閣を組織するようになっていた。

  • 1912年12月……西園寺内閣(第2次)が陸軍の圧力で倒れ,桂内閣(第3次)が成立する。尾崎行雄や犬養毅らが,藩閥を批判し,政党による議会政治を求める運動をはじめる。このときのスローガンが「閥族打破・憲政擁護」であり,憲政擁護の略称が「護憲」である。
  • 1913年1月……護憲を求める大会が全国で開かれるようになる。桂首相は前年即位した大正天皇の詔勅(しょうちょく)を使って政治を進めようとするが,国民の不満がさらに高まる。
  • 1913年2月……数万の民衆が国会議事堂を包囲する事態になり,桂内閣は成立からわずか53日で総辞職に追いこまれる。

【参考】

  • 薩摩藩出身の海軍軍人山本権兵衛(ごんべえ)が新しい内閣を組織した。山本内閣は首相は藩閥出身者であったが,多くの大臣には原敬など立憲政友会の党員がなった。
  • 桂太郎は新党結成の準備を進めており,桂の死後,立憲同志会が結党された(1913年12月)。立憲同志会は1916年に憲政会になり,立憲政友会・革新倶楽部とともに,第二次護憲運動の中心になっている。