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義和団事件

Last-modified: 2019-05-08 (水) 15:17:49
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歴史Aランク

義和団事件(ぎわだんじけん)

1899年〜1901年 義和団と清の軍隊が北京(ペキン)の外国公使館を取り囲んだが,日本を中心とする連合軍によって鎮圧(ちんあつ)された事件。

義和団は農民の自衛組織であったが,やがて反キリスト教や反外国を主張する民衆運動に発展し,教会などをおそう事件をおこしていた。

  • 1899年……山東(シャントン)省で義和団の勢力が強まる。清政府は義和団を弾圧するが,かえって義和団の勢力が山東省の外へ拡大するきっかけとなる。
  • 1900年
  • 6月……「扶清滅洋(ふしんめつよう)(清をたすけて外国勢力をほろぼす)」をスローガンに義和団が北京に入城する。北京の外国公使館が包囲され,ドイツ公使らが殺害される。清政府が義和団を支持するようになり,列強に宣戦布告する。
  • 8月……日本・イギリス・アメリカ・ロシア・フランス・イタリア・ドイツ・オーストリアの8か国の連合軍(中心は日本とロシア)が北京を占領する。義和団は壊滅し,清政府は北京から逃亡する。
  • 1901年……北京議定書が結ばれ,清政府は各国の軍隊を北京周辺に置くことや,巨額の賠償金の支払いを認める。(1937年に北京の郊外で日本軍と中国軍が衝突して日中戦争がおきたが,この日本軍は北京議定書にもとづいて駐留していたものである。)

ロシアは満州に出兵し,義和団事件後も軍隊をとどめて,満州を支配下に置こうとした。このため,日本とロシアの対立が深まることになった。