聖徳太子
Last-modified: 2019-06-04 (火) 15:40:31
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聖徳太子(しょうとくたいし) †
574年〜622年
本名は「
【聖徳太子と伝えられる肖像画】
【聖徳太子】
- 574年……
用明 天皇の子として生まれる。なお,父方,母方の祖母はともに蘇我氏出身者である。
- 587年……
蘇我馬子 と物部守屋 が戦う。太子は蘇我氏に協力し,物部氏がほろびる。
- 592年……
崇峻 天皇が蘇我馬子に暗殺される。推古 天皇が即位すると,皇太子になる。- 用明天皇の死後,異母弟の崇峻天皇が即位したが,実権は蘇我馬子に握られていた。崇峻天皇は馬子を倒そうとしたが,反対に暗殺されてしまった。
- 推古天皇は用明天皇の同母妹(太子にとっては叔母にあたる)で,史上初の女性天皇である。
- 593年……推古天皇の摂政となり,蘇我馬子と協力して政治にあたる。
- 600年……初めての遣隋使を派遣する。(この遣隋使は隋の歴史書にしか記録されていない。)
- 603年……冠位十二階を定める。豪族に能力や功績に応じた冠位を与えるもので,人材登用が目的であったとされる。
- 604年……十七条の憲法を制定する。豪族に朝廷の役人として守るべき心構えを示す。
- 607年……
小野妹子 を遣隋使として派遣し,隋と対等の立場で国交を結ぼうとする。この頃,法隆寺を建立する。(現在の法隆寺は7世紀の終わり頃に再建されたものである可能性が高い。)
- 615年……この頃,「
三経義疏 」という仏教経典の注釈書を著す。
- 622年……
斑鳩宮 (奈良県)で亡くなる。推古天皇よりも先に亡くなったため,即位することはなかった。