トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS


護憲運動

Last-modified: 2020-07-30 (木) 16:10:58
Top / 護憲運動

歴史Aランク

護憲運動(ごけんうんどう)

大正時代におこった,憲法に基づく政党政治を求める運動のこと。 「憲政擁護(ようご)運動」の略称。大正時代の民主主義の気運の高まり(大正デモクラシー)を代表するもので,次の2回がある(たんに護憲運動というときは,第一次護憲運動を指すことが多い)。

  • 第一次護憲運動(1912年〜1913年)……日露戦争の頃から,藩閥,官僚の支持する(かつら)太郎(長州出身の陸軍軍人)と,立憲政友会総裁の西園寺公望(さいおんじきんもち)が交互に内閣を組織していた。1912年に陸軍の圧力で西園寺内閣が倒され,桂太郎が3度目の内閣を組織すると,立憲政友会の尾崎行雄,立憲国民党の犬養毅(いぬかいつよし)らが「閥族打破・憲政擁護」を合い言葉に反対運動をおこした。運動は国民的なものに発展し,民衆が国会議事堂を包囲するなかで,桂内閣は成立からわずか53日間で総辞職に追いこまれた。大日本帝国憲法下で国民の運動によって内閣が倒れたのは,このときだけである。(この事件を「大正政変」ともいう。)
  • 桂太郎は新政党を準備していて,桂の死後,立憲同志会が結成された。立憲同志会は後に憲政会になり,第二次護憲運動では中心の1つとなっている。
  • 桂に代わって首相になったのは薩摩出身の海軍軍人山本権兵衛であったが,山本内閣には立憲政友会の政治家が多く参加した。
  • 第二次護憲運動(1924年)……貴族院議員が中心の内閣に対して,憲政擁護や普通選挙実施などを主張する立憲政友会,憲政会,革新倶楽部(くらぶ)の3つの政党(護憲三派という)がおこした運動。同じ年に行われた衆議院議員総選挙で護憲三派が勝利して政党内閣(憲政会の総裁が首相になった)が成立し,翌年には男子の普通選挙制が実現した。これ以降,1932年の五・一五事件まで政党内閣が続いた。