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豊臣秀吉

Last-modified: 2018-08-08 (水) 12:49:35
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歴史Aランク

豊臣秀吉(とよとみひでよし)

1537年?〜1598年 安土・桃山時代の武将で,全国統一をなしとげた。 太閤検地刀狩によって兵農分離を進め,武士が全国の土地と人民を支配する仕組みを整えた。

【豊臣秀吉の肖像画】

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【豊臣秀吉(とよとみひでよし)】

  • 1537年?……尾張(おわり)(愛知県)の中村に生まれる。父は織田家に仕える足軽だったともいわれる。
  • 足軽……日頃は雑用をつとめ,戦いのときは歩兵となる者。武士と農民の中間的な存在であった。(江戸時代には最下級の武士とされた。)
  • 1554年?……木下藤吉郎(とうきちろう)と名のり,織田信長の家臣になる。すぐれた功績をあげて,次第に認められるようになる。
  • 1573年……長浜城(滋賀県)の城主となり,羽柴(はしば)秀吉と名のる。
  • 同じ信長の家臣であった丹羽(にわ)長秀と柴田勝家から一字ずつもらって「羽柴」という名字をつくった。
  • 1577年……織田信長の命令で,中国地方の戦国大名毛利(もうり)氏と戦う。
  • 1580年……三木城(兵庫県)を攻め落とす。
  • 1581年……鳥取状(鳥取県)を攻め落とす。
  • 1582年……備中高松城(岡山県)を水攻めする。本能寺の変で織田信長が死ぬと,毛利氏と講和して兵を返し,山崎の戦いで明智光秀(あけちみつひで)を破る。検地(太閤検地)をはじめる。
  • 1583年……織田信長の家臣中で最大のライバルであった柴田勝家をほろぼし,信長の後継者としての地位を確立する。大阪城を築いて,本拠地とする。
  • 1584年……織田信雄(のぶかつ/のぶお-信長の二男)・徳川家康と戦うが,のちに講和する。
  • 1585年……四国地方を平定する。関白になる。
  • 1586年……徳川家康を臣従させる。朝廷から豊臣の姓を授けられ,太政大臣になる。
  • 豊臣は姓なので「とよとみのひでよし」と読む方が正しいが,「とよとみひでよし」という読みが定着している。
  • 1587年……島津氏を降伏させて九州地方を平定する。バテレン追放令を発し,キリスト教の宣教を禁止する。京都に政庁兼邸宅として聚楽第(じゅらくてい)を建てる。北野(京都市)で大規模な茶会を開く(千利休らが参加)。
  • 1588年……刀狩令,海賊禁止令を発する。
  • 1590年……北条氏をほろぼして関東地方を平定する。東北地方の大名も従え,全国統一をなしとげる。
  • 北条氏は伊勢氏の一族で,関東地方の大半を支配していた。なお,鎌倉時代執権政治を行った北条氏とは別の一族である。
  • 1591年……関白の地位を(おい)で養子の豊臣秀次にゆずり,太閤とよばれるようになる。
  • 1592年……隠居後の住まいとして伏見城を築く。中国()征服を企て,協力を拒否した朝鮮に兵をおくる(文禄の役)。
  • 1593年……淀殿(よどどの)との間に秀頼(ひでより)が生まれる。
  • 淀殿は織田信長のめいにあたる(母が信長の妹)。また淀殿の妹は江戸幕府の第二代将軍秀忠の妻となり,第三代将軍家光をうんでいる。
  • 1595年……秀次に切腹を命じ,その家族や家臣の多くを処刑する。秀次の邸宅となっていた聚楽第を取りこわす。秀頼が秀吉の後継者となる。
  • 1596年……伏見城が地震で倒壊したため,別の場所に再建させる。
  • 1597年……明との和平交渉が決裂し,再び朝鮮に兵をおくる(慶長の役)。
  • 1598年……伏見城で病死する。日本軍は朝鮮から撤退する。

【秀吉の死後の動き】

  • 1598年……秀頼があとを継ぐが,徳川家康の力が強まる。
  • 1600年……関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利する。秀頼は摂津(せっつ)河内(かわち)和泉(いずみ)を支配する大名とされる。
  • 関ヶ原の戦いは秀頼に従う大名同士の争いという形で行われたが,家康の権力が確立し,秀頼は天下の支配者から一大名の位置に落とされた。
  • 1614年……家康が大阪城を攻めるが,講和が成立する(大阪冬の陣)。
  • 1615年……家康が再び大阪城を攻める(大阪夏の陣)。大阪城は陥落し,秀頼と淀殿は自殺して,豊臣氏はほろびる。