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邪馬台国

Last-modified: 2019-10-17 (木) 12:46:34
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歴史Aランク

邪馬台国(やまたいこく)

3世紀の()(日本)にあった国家。 ()(当時,中国北部を支配していた王朝)の歴史書によると,239年に邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送り,「親魏倭王(しんぎわおう)」の称号と金印(未発見)や銅鏡を授けられたという。また,邪馬台国は30ほどの小さな国をしたがえ,身分の違いができていたことなども記されている。

【邪馬台国の位置問題】

魏の歴史書には邪馬台国に行くときの方位と日程が記されているが,その通りに行くと邪馬台国は太平洋上になってしまう。そのため邪馬台国の位置については,次の大和(やまと)説と北九州説があり,論争が続いている。

  • 大和説……方位を修正することによって,現在の奈良県あたりに邪馬台国があったとするもの。壱岐(いき)対馬(つしま)奴国(なこく)(現在の福岡県)が邪馬台国の支配下にあったことは間違いないので,この説が正しければ,3世紀には近畿地方から九州地方にかけての広い地域に国家連合が成立していたことになる。
  • 北九州説……日程を修正したり,歴史書の読み方を改めて,現在の九州北部に邪馬台国があったとするもの。この説が正しければ,邪馬台国はまだ九州北部のみを支配する地方政権であったことになる。

邪馬台国の位置は,ヤマト政権成立の時期を考える上でも重要だが,現在でも結論が出ていない。