歴史Dランク
律令(りつりょう)制度で定められた地方官で,朝廷の派遣する国司の下で,郡を治めた。
大和朝廷は地方豪族を国造とよばれる地方官に任じていたが,初期の郡司の多くはこの国造から任命された。任期4年〜6年の国司と違って,郡司は終身(死ぬまでその地位にあること)であり,その地位は父から子に受け継がれることが多かった。平安時代になって律令制度がくずれはじめると,新興(しんこう)の有力者が郡司や郷司になり,国司と対抗することもあった。
【参考】
郡司という名称になったのは大宝律令(701年)以降である。大化の改新の当時は,郡は評(こおり)といい,郡司は評督(ひょうとく)などといった。