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関ヶ原の戦い

Last-modified: 2018-07-24 (火) 16:15:32
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歴史Bランク

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)

1600年 徳川家康の全国支配を決定づけた戦い。 「天下分け目の合戦」ともよばれる。

豊臣秀吉の死後,関東地方を領地とする徳川家康の勢力が強くなった。これに不満をもつ石田三成(みつなり)(秀吉の家臣)は,他の大名によびかけて家康打倒の兵をあげた。家康を中心とする東軍と三成を中心とする西軍が関ヶ原(岐阜県)で戦ったが,家康が勝利し,捕らえられた三成は処刑された。

  • 東軍……大将は徳川家康。秀吉の家臣だが三成をきらっていた加藤清正(きよまさ),福島正則(まさのり),黒田長政(ながまさ)らは東軍に加わっている。家康は息子の秀忠と軍を二手に分けて江戸から西進したが,秀忠の軍の到着がおくれたため,家康の率いる軍勢だけで関ヶ原で戦った。
  • 西軍……名目上の大将は毛利輝元(もうりてるもと)だが,中心になっていたのは石田三成である。参加した大名は多かったが,まとまりがなく,戦わないで様子を見る大名や裏切って東軍側につく大名が続出したため,関ヶ原の戦いでは半日ほどで敗れている。

関ヶ原の戦いの勝利によって家康の全国支配が決定的となり,豊臣秀頼(ひでより)(秀吉の子)は大阪城を居城とする一大名という立場になった。