- 追加された行はこの色です。
- 削除された行はこの色です。
[[歴史Cランク]]
**中東戦争(ちゅうとうせんそう) [#p1c8963c]
&color(mediumblue){ユダヤ人国家イスラエルと周辺のアラブ諸国との戦争。}; 大きなものでも4回の戦争がおきている。
「中東」はヨーロッパから見た地域区分で,西アジアとアフリカ北東部を指す。
----
【中東戦争】
かつてユダヤ人は[[ローマ帝国]]によってイスラエルから追放され,イスラエルはパレスチナと改名された。7世紀以降パレスチナには[[イスラム教]]を信じるアラブ人が住むようになったが,19世紀頃からユダヤ人は,パレスチナに自分たちの国家(イスラエル)を再建することを求めるようになっていた。
[[第一次世界大戦]]がはじまると,イギリスは次のような矛盾した政策を行った。
-フサイン・マクマホン協定(1915年)……オスマン帝国の支配下にあった中東のアラブ人に,将来の独立を約束した協定。これに基づいて,1916年にアラブ人のオスマン帝国に対する反乱がはじまっている。
-サイクス・ピコ協定(1916年)……中東をイギリス,フランス,ロシアで分割することを定めた秘密協定。
-バルフォア宣言(1917年)……イギリスが,パレスチナにユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)を建設することを認めたもの。
第一次世界大戦後,パレスチナはイギリスの委任統治領となったが,アラブ人やユダヤ人がきびしく対立するようになっていた。
-第一次中東戦争(1948〜1949)……1947年に[[国際連合]]がパレスチナをアラブ人地区とユダヤ人地区に&ruby(ぶんんかつ){分割};することを決議すると,パレスチナは内戦状態におちいった。翌年,ユダヤ人がイスラエルの独立を宣言すると,これに反対する周辺のアラブ諸国がパレスチナに進軍し,戦争がはじまった。イスラエル有利のなかで国連の調停によって,停戦が実現した。イスラエルが国連の分割決議以上の土地を獲得する一方で,多くのアラブ人が難民となった(パレスチナ難民)。
-第二次中東戦争(1956〜1957)……エジプトのスエズ運河国有化に反発したイギリス,フランスがイスラエルと結んでエジプトに侵攻したもので,スエズ動乱ともいう。アメリカやソ連が侵攻を強く非難したことから,3国は国連の停戦決議を受け入れて撤退している。
-第三次中東戦争(1967)……イスラエルとアラブ諸国の緊張が高まるなかで,先制攻撃を行ったイスラエルが6日間で勝利を収めた。イスラエルがヨルダン領のヨルダン川西岸地区,エジプト領のガザ地区・シナイ半島,シリア領のゴラン高原を占領する一方で,パレスチナ難民がさらに増加した。(ヨルダン川西岸地区とガザ地区は,国連の分割決議で,アラブ人地区とされた地域である。)
-第四次中東戦争(1973)……失地回復を目指したエジプトとシリアがイスラエルを先制攻撃した。はじめは苦戦したイスラエルが反撃に転じるなかで停戦した。このとき,アラブ諸国がイスラエルの援助国に対して石油戦略(石油の禁輸や量的制限)をとり,原油価格の大幅な引き上げを行ったことから,[[石油危機]]がおきている。
その後,ヨルダン川西岸地区とガザ地区をパレスチナ人(パレスチナ出身のアラブ人)自治区にすることによって問題の解決が図られているが,深刻な対立は現在まで続いている。