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[[歴史Aランク]]
**宗教改革(しゅうきょうかいかく) [#s515115d]
&color(mediumblue){16世紀のヨーロッパで,ローマ・カトリック教会を批判して起こったキリスト教の改革運動のこと。}; 代表的な宗教改革者にルターやカルバンがいる。
&color(mediumblue){16世紀のヨーロッパで,ローマ・カトリック教会を批判しておこったキリスト教の改革運動のこと。}; 代表的な宗教改革者にルターやカルバンがいる。
-ルター(ドイツ人)……1517年にローマ・カトリック教会の&ruby(しょくゆうじょう){購宥状};販売を批判して宗教改革を開始した。教会から破門されながらも,人は信仰のみによって救われると主張し,「新約聖書」のドイツ語訳を完成した。
--購宥状……罪のつぐないを軽くすることの証明書で,教会の資金集めのために乱発されていた。&ruby(めんざいふ){免罪符};ともいう。
-ルター(1483年~1546年)……ドイツの修道士で,大学で神学などを教えていた。1517年にローマ・カトリック教会の&ruby(しょくゆうじょう){購宥状};販売を批判して「95か条の論題」を発表したことから宗教改革がはじまった。教会から破門されながらも,人は信仰のみによって救われると主張し,「新約聖書」のドイツ語訳を完成した。
-カルバン(フランス人)……ジュネーブ(スイス)を拠点にし,改革運動を推進した。人々が職業にはげんで富をたくわえることは神の心にかなっているというカルバンの主張は商工業者からの支持を集め,その後の[[資本主義]]の発展に大きな影響を与えた。
--購宥状は罪のつぐないを軽くすることの証明書で,教会の資金集めのために乱発されていた。&ruby(めんざいふ){免罪符};ともいう。
--ルターの影響でドイツでは騎士や農民の反乱がおきたが,どちらも失敗に終わっている。ルター自身はそうした反乱を批判する一方で,各地域を支配する諸侯の間でその教えを広めていった。
-カルバン(1509年~1564年)……フランスの神学者。フランスで宗教改革に対する弾圧が強まるとスイスに亡命し,ジュネーブを拠点として改革運動を推進した。人々が職業にはげんで富をたくわえることは神の心にかなっているというカルバンの主張は商工業者からの支持を集め,その後の[[資本主義]]の発展に大きな影響を与えたとされる。
ルターやカルバンの教えや信者のことを[[プロテスタント]](「抗議する者」という意味)という。また,プロテスタントを新教,カトリックを旧教ということもある。
【宗教戦争】
カトリックとプロテスタントの対立は激しく,各地で宗教戦争がおきている。
-シュマルカルデン戦争(1546年~1547年)……ドイツ(神聖ローマ帝国)の内戦。戦争は皇帝を中心としたカトリック勢力の優勢で終わったが,プロテスタント側の反撃もあり,1555年にアウクスブルクの宗教和議が結ばれた。これは,ルター派は認めるがカルバン派は認めない,個人の信仰を認めず諸侯や都市がその地域の宗派を決定するなど,宗教対立を解決するものとしては不十分な内容であった。
-ユグノー戦争(1562年~1598年)……フランスの内戦で,ユグノーはカルバン派の新教徒のこと。宗教対立に貴族の争いや王位継承問題もからんで戦争は激化し,1572年には多数のユグノーが殺される聖バルテルミーの虐殺がおきている。1598年に個人の信仰の自由を認めるナントの勅令が発せられて,戦争は終わっている。
-三十年戦争(1618年~1648年)……ドイツ(神聖ローマ帝国)のプロテスタントの反乱からはじまった戦争だが,デンマーク(プロテスタント国),スウェーデン(プロテスタント国),フランス(カトリック国だが神聖ローマ帝国の皇帝と対立していた),スペイン(カトリック国で王は神聖ローマ帝国の皇帝と同族)などが加わることによって国際的な戦争になった。1648年にウェストファリア条約が結ばれて戦争は終わったが,神聖ローマ帝国は無力化し,ドイツの分裂が決定的になった。なお,ウェストファリア条約ではアウクスブルクの宗教和議が再確認されたが,カルバン派が新たに認められている。
オランダの独立戦争,イギリスの[[ピューリタン革命]]・[[名誉革命]]の背景にもカトリックとプロテスタントの対立があった。