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[[歴史Cランク]]
**山城国一揆(やましろのくにいっき) [#oba76bda]
1485年〜1493年 &color(mediumblue){山城国(京都府)で,武士と農民が一揆を結んで守護大名を追い出し,8年間の自治を行ったこと。}; 山城国では[[守護大名]]の&ruby(はたけやま){畠山};氏があとつぎをめぐって分裂し,戦いが続けられていた。これに対して,農村に住む武士や農民が&ruby(うじ){宇治};の平等院で集会を開いて国の&ruby(おきて){掟};を定め,守護大名の軍勢を追い出した。その後,36人の代表によって8年間の自治が行われたが,1493年に内部対立によって一揆は解体し,新しい守護の支配下におかれた。
1485年〜1493年 &color(mediumblue){山城国(京都府南部)で,武士と農民が一揆を結んで守護大名を追い出し,8年間の自治を行ったこと。}; 代表的な[[国一揆]]である。
【注意】
[[守護大名]]の&ruby(はたけやま){畠山};氏のあとつぎ争いは[[応仁の乱]]の原因の一つとなったが,この争いは応仁の乱の後も続けられた。山城国南部はその戦場となり,畠山氏の両軍が勝手に関所をつくって交通をさまたげたり,荘園から年貢を奪ったりしていた。これに苦しんだ山城国の武士や農民が協力して,畠山氏の両方の軍勢を追い出した。
「山城国一揆」は,「やましろのくに/いっき」ではなく「やましろの/くにいっき」という意味なので,注意すること。[[国一揆]]は地方在住の武士が中心となった一揆のことである。
-36人の代表が宇治の平等院に集まり,独自の&ruby(おきて){掟};を定めて,自治を行った。
-1493年に内部対立によって一揆は解体し,幕府が任命した新しい守護の支配下におかれた。