[[歴史Dランク]]
**後白河上皇(ごしらかわじょうこう) [#j6322287]
1127年〜1192年 &color(mediumblue){平安時代末期の天皇(上皇・法皇)。}; [[保元の乱]],[[平治の乱]],源平の争乱,[[鎌倉幕府]]の成立などの激動の時代に,朝廷の勢力の&ruby(いじ){維持};に努力した。
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【後白河上皇】
-1155年……天皇に即位する。
-1156年……兄の&ruby(すとく){崇徳};上皇と戦う保元の乱が起きるが,[[源義朝]],[[平清盛]]などを味方にして勝利する。
-1158年……子の二条天皇に譲位して上皇になり,[[院政]]を開始する。
-1159年……平治の乱が起こり,源義朝を破った平清盛が政権をにぎる。
-1169年……出家して法皇になる。
-1178年……対立した平清盛によって&ruby(ゆうへい){幽閉};され,院政が停止する。
-1180年……子の&ruby(もちひとおう){以仁王};が平氏打倒の兵をあげる。以仁王はまもなく戦死するが,[[源頼朝]],源&ruby(よしなか){義仲};らが各地で挙兵する。
-1181年……清盛が病死。院政を再開する。
-1183年……京都を占領した源義仲に平氏追討を命じる。
-1184年……源頼朝に命じて,対立した義仲を討たせる。
-1185年……平氏が滅びる。[[源義経]]に頼朝追討を命じるが,敗れた義経は逃走する。頼朝の要求を受けて[[守護]]・[[地頭]]の設置を認める。
-1189年……鎌倉から&ruby(上洛){上洛};(地方から京都に行くこと)した頼朝と面会するが,[[征夷大将軍]]に任じることは拒否する。
-1192年……京都で死去。まもなく朝廷は頼朝を征夷大将軍に任じている。