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[[歴史Dランク]]
**憲政の常道(けんせいのじょうどう) [#s8eade35]
&color(mediumblue){政党内閣によって政治が行われるという慣例のこと。}; 第2次[[護憲運動]]後,日本では憲政会(のちに立憲民政党)または立憲政友会の党首が内閣総理大臣となって政権を担当した。[[衆議院]]で多数の議席をしめる政党の党首が政権を担当することは,[[大日本帝国憲法]]にかなった方法であるとされ,「憲政の常道」と呼ばれた。
&color(mediumblue){政党内閣によって政治が行われるという慣例のこと。}; 第2次[[護憲運動]]後,日本では憲政会(のちに立憲民政党)または立憲政友会の党首が内閣総理大臣となって政権を担当した。[[衆議院]]で多数の議席をしめる政党の党首が政権を担当することは,[[大日本帝国憲法]]にかなった方法であるとされ,「憲政の常道」とよばれた。
【憲政の常道】
-1924年〜1926年 加藤高明内閣(憲政会)
-1926年〜1927年 &ruby(わかつき){若槻};礼次郎内閣(憲政会)
-1927年〜1929年 田中義一内閣(立憲政友会)
-1929年〜1931年 浜口&ruby(おさち){雄幸};内閣(立憲民政党)
-1931年 若槻礼次郎内閣(立憲民政党)
-1931年〜1932年 [[犬養毅]]内閣(立憲政友会)
1932年の[[五・一五事件]]で,憲政の常道は終わることになった。