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摂関政治 のバックアップ差分(No.1)



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[[歴史Aランク]]

**摂関政治(せっかんせいじ) [#vd5e8ff1]

&color(mediumblue){平安時代中期に,藤原氏が&ruby(せっしょう){摂政};や&ruby(かんぱく){関白};の地位について行った政治のこと。}; 藤原氏は自分の娘を天皇のきさきとし,生まれた子を天皇にたて,天皇が幼いときは[[摂政]],成人してからは関白の[[地位]]について政治を行った。 

-藤原&ruby(よしふさ){良房};……皇族以外では初の摂政。857年に孫の&ruby(せいわ){清和};天皇(当時9歳)が即位すると,実質的に摂政となった。正式に摂政の地位についたのは866年である。 

-藤原&ruby(もとつね){基経};……最初の関白。884年に&ruby(ようぜい){陽成};天皇を廃して&ruby(こうこう){光孝};天皇をたて,実質的に関白となった。887年&ruby(うだ){宇多};天皇即位にともない,正式に関白の地位についた。 

-[[藤原道長]]……摂関政治の全盛期を代表する人物。4人の娘を天皇のきさきにし,3人の天皇の祖父として政治を行った。道長と子の&ruby(よりみち){頼通};の時代に藤原氏は広大な[[荘園]]を経済的基盤とし,一門で朝廷の高い位置を独占した。

11世紀の終わりに[[院政]]がはじまると,摂政・関白の力は次第に弱まっていった。これ以降は道長の血筋(摂関家)が摂政・関白の地位を独占するようになり,江戸時代の終わりまで続いている。(藤原氏以外で関白になったのは,[[豊臣秀吉]]とおいの秀次だけである。)