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摂関政治 のバックアップ(No.2)



歴史Aランク

摂関政治(せっかんせいじ)

平安時代中期に,藤原氏が摂政(せっしょう)関白(かんぱく)の地位について行った政治のこと。 藤原氏は自分の娘を天皇のきさきとし,生まれた子を天皇にたて,天皇が幼いときは摂政,成人してからは関白の地位について政治を行った。

  • 藤原良房(よしふさ)……皇族以外では初の摂政。857年に孫の清和(せいわ)天皇(当時9歳)が即位すると,実質的に摂政となった。正式に摂政の地位についたのは866年である。
  • 藤原基経(もとつね)……最初の関白。884年に陽成(ようぜい)天皇を廃して光孝(こうこう)天皇をたて,実質的に関白となった。887年宇多(うだ)天皇即位にともない,正式に関白の地位についた。
  • 藤原道長……摂関政治の全盛期を代表する人物。4人の娘を天皇のきさきにし,3人の天皇の祖父として政治を行った。道長と子の頼通(よりみち)の時代に藤原氏は広大な荘園を経済的基盤とし,一門で朝廷の高い位置を独占した。

11世紀の終わりに院政がはじまると,摂政・関白の力は次第に弱まっていった。

武家政治の確立によって摂関政治は終わったが,摂政・関白の職は江戸時代の末期まで続いている。(摂政・関白の地位は道長の血筋である摂家が独占したが,例外として豊臣秀吉とおいの秀次が関白になっている。)