樺太・千島交換条約 のバックアップ(No.1)
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- 1 (2016-06-13 (月) 12:31:27)
- 2 (2016-10-25 (火) 17:05:11)
樺太・千島交換条約(からふとちしまこうかんじょうやく) †
1875年 日本とロシアの間で調印された国境確定条約で,千島列島が日本領,樺太がロシア領になった。
【千島列島と樺太】
- 日露和親条約(1854年)……江戸幕府とロシア帝国が結んだ条約。千島列島の
択捉 島と得撫 島の間を日本とロシアの国境とし,樺太については両国の雑居 地として国境を定めなかった。(現在,日本政府はこの条約が結ばれた日を「北方領土の日」としている。)
- 樺太・千島交換条約(1875年)……明治政府とロシア帝国が結んだ条約。日本は樺太を
放棄 するかわりに,千島列島の全島(18島)を日本領とした。
- サンフランシスコ平和条約(1951年)……第二次世界大戦の講和条約。日本は南樺太と千島列島の領有権を放棄し,ヤルタ協定に基づいて両地はソビエト連邦(現在はロシア連邦)の支配下に置かれた。
- 日本政府は,南樺太と千島列島の帰属は未確定という立場をとっている。(世界地図で,南樺太と千島列島が白色になっているのはこのため。)
- 日本政府は,択捉島,
国後 島,色丹 島,歯舞 群島に関しては,日本の放棄した千島列島にはふくまれない固有の領土(北方領土)であるとして,ロシアに返還を求めている。