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第一次護憲運動 のバックアップ差分(No.2)



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[[歴史Dランク]]

**第一次護憲運動(だいいちじごけんうんどう) [#tb8a041a]

&color(mediumblue){日本が台湾を統治するために設置した官庁。}; [[下関条約]]で台湾を植民地とした日本が,1895年に&ruby(タイペイ){台北};に設置した。はじめは武官(軍人)が総督となり,住民の抵抗を武力でおさえつける政治を行った。中期には文官(軍人以外の官吏)が台湾総督になり,砂糖生産などの経済の発展にも力が入れられるようになった。1945年の日本の降伏によって台湾総督府は廃止されている。
[[護憲運動]]
1912年〜1913年 &color(mediumblue){藩閥を批判し,政党による議会政治を求める運動のこと。};

1901年から,長州藩出身の陸軍軍人&ruby(かつら){桂};太郎と,立憲政友会の総裁&ruby(さいおんじきんもち){西園寺公望};が交互に内閣を組織するようになっていた。

-1912年12月……西園寺内閣が陸軍の圧力で倒れ,桂内閣が成立する。尾崎行雄や[[犬養毅]]らが,藩閥を批判し,政党による議会政治を求める運動をはじめる。このときのスローガンが「閥族打破・憲政擁護」であり,憲政擁護の略称が「護憲」である。

-1913年1月……護憲を求める大会が全国で開かれるようになる。桂首相は前年即位した大正天皇の&ruby(しょうちょく){詔勅};を使って政治を進めようとするが,国民の不満がさらに高まる。

-1913年2月……数万の民衆が国会議事堂を包囲する時代になる。桂内閣は53日で総辞職に追いこまれる。

【参考】

-薩摩藩出身の海軍軍人山本&ruby(ごんべえ){権兵衛};が新しい内閣を組織した。山本内閣は首相は藩閥出身者であったが,多くの大臣には[[原敬]]など立憲政友会の党員がなった。

-桂太郎は新党結成の準備を進めており,桂の死後,立憲同志会が結党された(1913年)。立憲同志会は1916年に憲政会になり,立憲政友会・革新倶楽部とともに,第二次護憲運動の中心になっている。