第一次護憲運動 のバックアップ(No.3)
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- 1 (2016-11-21 (月) 12:41:16)
- 2 (2016-11-21 (月) 14:14:35)
- 3 (2017-05-15 (月) 12:28:35)
第一次護憲運動(だいいちじごけんうんどう) †
1912年〜1913年 藩閥中心の内閣を批判し,憲法に基づく政治を守ることを求める運動のこと。 この運動は民衆の強い支持を受け,内閣は総辞職に追いこまれている。
【第一次護憲運動】
1901年から,長州藩出身の陸軍軍人
- 1912年12月……西園寺内閣が陸軍の圧力で倒れ,桂内閣が成立する。尾崎行雄や犬養毅らが,藩閥を批判し,政党による議会政治を求める運動をはじめる。このときのスローガンが「閥族打破・憲政擁護」であり,憲政擁護の略称が「護憲」である。
- 1913年1月……護憲を求める大会が全国で開かれるようになる。桂首相は前年即位した大正天皇の
詔勅 を使って政治を進めようとするが,国民の不満がさらに高まる。
- 1913年2月……数万の民衆が国会議事堂を包囲する時代になる。桂内閣は53日で総辞職に追いこまれる。
【参考】
- 薩摩藩出身の海軍軍人山本
権兵衛 が新しい内閣を組織した。山本内閣は首相は藩閥出身者であったが,多くの大臣には原敬など立憲政友会の党員がなった。
- 桂太郎は新党結成の準備を進めており,桂の死後,立憲同志会が結党された(1913年)。立憲同志会は1916年に憲政会になり,立憲政友会・革新倶楽部とともに,第二次護憲運動の中心になっている。