[[歴史Dランク]]
**第一次護憲運動(だいいちじごけんうんどう) [#tb8a041a]
1912年〜1913年 &color(mediumblue){藩閥中心の内閣を批判し,憲法に基づく政治を守ることを求める運動のこと。}; この運動は民衆の強い支持を受け,内閣は総辞職に追いこまれている。
----
【第一次護憲運動】
1901年から,長州藩出身の陸軍軍人&ruby(かつら){桂};太郎と,立憲政友会の総裁&ruby(さいおんじきんもち){西園寺公望};が交互に内閣を組織するようになっていた。
-1912年12月……西園寺内閣が陸軍の圧力で倒れ,桂内閣が成立する。尾崎行雄や[[犬養毅]]らが,藩閥を批判し,政党による議会政治を求める運動をはじめる。このときのスローガンが「閥族打破・憲政擁護」であり,憲政擁護の略称が「護憲」である。
-1913年1月……護憲を求める大会が全国で開かれるようになる。桂首相は前年即位した大正天皇の&ruby(しょうちょく){詔勅};を使って政治を進めようとするが,国民の不満がさらに高まる。
-1913年2月……数万の民衆が国会議事堂を包囲する時代になる。桂内閣は53日で総辞職に追いこまれる。
【参考】
-薩摩藩出身の海軍軍人山本&ruby(ごんべえ){権兵衛};が新しい内閣を組織した。山本内閣は首相は藩閥出身者であったが,多くの大臣には[[原敬]]など立憲政友会の党員がなった。
-桂太郎は新党結成の準備を進めており,桂の死後,立憲同志会が結党された(1913年)。立憲同志会は1916年に憲政会になり,立憲政友会・革新倶楽部とともに,第二次[[護憲運動]]の中心になっている。