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護憲運動 のバックアップ差分(No.1)



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[[歴史Aランク]]

**護憲運動(ごけんうんどう) [#j02a188c]

&color(mediumblue){大正時代に起こった,憲法に基づく政党政治を求める運動のこと。}; 「憲政&ruby(ようご){擁護};運動」の略称。大正時代の民主主義の気運の高まり([[大正デモクラシー]])を代表するもので,次の2回がある。
 
-第一次護憲運動(1912〜13)……&ruby(はんばつ){藩閥};と陸軍の支持する内閣に対して,立憲政友会の尾崎行雄,立憲国民党の&ruby(いぬかいつよし){犬養毅};らが「閥族打破・憲政擁護」を合い言葉に運動を起こした。運動は国民的なものに発展し,民衆が国会議事堂を包囲するなかで,内閣は成立からわずか53日間で総辞職に追いこまれた。大日本帝国憲法下で国民の運動によって内閣が倒れたのは,このときだけである。(この事件を「大正政変」ともいう。) 

-第二次護憲運動(1924)……貴族院議員が中心の内閣に対して,憲政擁護や普通選挙実施などを主張する立憲政友会,憲政会,革新&ruby(くらぶ){倶楽部};の3つの政党(護憲三派という)が起こした運動,同じ年に行われた衆議院議員総選挙で護憲三派が勝利して[[政党内閣]]が復活し,翌年には男子の普通選挙制が実現した。これ以降,1932年の[[五・一五事件]]まで政党内閣が続いた。