護憲運動 のバックアップ(No.3)
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- 1 (2016-06-13 (月) 14:10:48)
- 2 (2017-02-23 (木) 17:00:01)
- 3 (2017-02-27 (月) 12:32:07)
- 4 (2020-01-30 (木) 16:53:44)
護憲運動(ごけんうんどう) †
大正時代におこった,憲法に基づく政党政治を求める運動のこと。 「憲政
- 第一次護憲運動(1912〜13)……日露戦争の頃から,藩閥,官僚の支持する
桂 太郎(長州出身の陸軍軍人)と,立憲政友会総裁の西園寺公望 が交互に内閣を組織していた。1912年に陸軍の圧力で西園寺内閣が倒され,桂太郎が3度目の内閣を組織すると,立憲政友会の尾崎行雄,立憲国民党の犬養毅 らが「閥族打破・憲政擁護」を合い言葉に反対運動をおこした。運動は国民的なものに発展し,民衆が国会議事堂を包囲するなかで,桂内閣は成立からわずか53日間で総辞職に追いこまれた。大日本帝国憲法下で国民の運動によって内閣が倒れたのは,このときだけである。(この事件を「大正政変」ともいう。)
- 桂太郎は新政党を準備していて,桂の死後,立憲同志会が結成された。立憲同志会は後に憲政会になり,第二次護憲運動では中心の1つとなっている。
- 桂に代わって首相になったのは薩摩出身の海軍軍人山本権兵衛であったが,山本内閣には立憲政友会の政治家が多く参加した。