豊臣秀吉 のバックアップ(No.5)
豊臣秀吉(とよとみひでよし) †
1537年?〜1598年 安土・桃山時代の武将で,全国統一をなしとげた。 太閤検地や刀狩によって兵農分離を進め,武士が全国の土地と人民を支配する仕組みを整えた。
【豊臣秀吉の肖像画】
【豊臣秀吉(とよとみひでよし)】
- 1537年?……
尾張 (愛知県)の中村に生まれる。父は織田家に仕える足軽だったともいわれる。
- 足軽……日頃は雑用をつとめ,戦いのときは歩兵となる者。武士と農民の中間的な存在であった。(江戸時代には最下級の武士とされた。)
- 1554年?……木下
藤吉郎 と名のり,織田信長の家臣になる。すぐれた功績をあげて,次第に認められるようになる。
- 1573年……長浜城(滋賀県)の城主となり,
羽柴 秀吉と名のる。
- 同じ信長の家臣であった
丹羽 長秀と柴田勝家から一字ずつもらって「羽柴」という名字をつくった。
- 1577年……織田信長の命令で,中国地方の戦国大名,
毛利 氏と戦う。
- 1580年……三木城(兵庫県)を攻め落とす。
- 1581年……鳥取状(鳥取県)を攻め落とす。
- 1583年……織田信長の家臣中で最大のライバルであった柴田勝家をほろぼし,信長の後継者としての地位を確立する。大阪城を築いて,本拠地とする。
- 1584年……織田信雄(のぶかつ/のぶおー信長の二男)・徳川家康と戦うが,のちに講和する。
- 1585年……四国地方を平定する。関白になる。
- 1586年……徳川家康を臣従させる。朝廷から豊臣の姓を授けられ,太政大臣になる。
- 豊臣は姓なので「とよとみのひでよし」と読む方が正しいが,「とよとみひでよし」という読みが定着している。
- 1588年……刀狩令,海賊禁止令を発する。
- 1590年……北条氏をほろぼして関東地方を平定する。東北地方の大名も従え,全国統一をなしとげる。
- 1591年……関白の地位を
甥 で養子の豊臣秀次にゆずり,太閤とよばれるようになる。
- 1592年……隠居後の住まいとして伏見城を築く。中国(明)征服を企て,協力を拒否した朝鮮に兵をおくる(文禄の役)。
- 1593年……
淀殿 との間に秀頼 が生まれる。
- 淀殿は織田信長のめいにあたる(母が信長の妹)。また淀殿の妹は江戸幕府の第二代将軍秀忠の妻となり,第三代将軍家光をうんでいる。
- 1595年……秀次に切腹を命じ,その家族や家臣の多くを処刑する。秀頼が秀吉の後継者となる。
- 1556年……伏見城が地震で倒壊したため,別の場所に再建させる。
- 1597年……明との和平交渉が決裂し,再び朝鮮に兵をおくる(慶長の役)。
- 1598年……伏見城で病死する。日本軍は朝鮮から撤退する。
【秀吉の死後の動き】
- 1598年……秀頼があとを継ぐが,徳川家康の力が強まる。
- 1600年……関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利する。秀頼は
摂津 ・河内 ・和泉 を支配する大名とされる。
- 関ヶ原の戦いは秀頼に従う大名同士の争いという形で行われたが,家康の権力が確立し,秀頼は天下の支配者から一大名の位置に落とされた。
- 1614年……家康が大阪城を攻めるが,講和が成立する(大阪冬の陣)。
- 1615年……家康が再び大阪城を攻める(大阪夏の陣)。大阪城は陥落し,秀頼は自殺して,豊臣氏はほろんだ。