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豊臣秀吉 のバックアップソース(No.5)


[[歴史Aランク]]

**豊臣秀吉(とよとみひでよし) [#j3b6a622]

1537年?〜1598年 &color(mediumblue){安土・桃山時代の武将で,全国統一をなしとげた。}; [[太閤検地]]や[[刀狩]]によって[[兵農分離]]を進め,武士が全国の土地と人民を支配する仕組みを整えた。

【豊臣秀吉の肖像画】

#ref(hideyoshi.jpg) 

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【豊臣秀吉(とよとみひでよし)】 

-1537年?……&ruby(おわり){尾張};(愛知県)の中村に生まれる。父は織田家に仕える足軽だったともいわれる。 

--足軽……日頃は雑用をつとめ,戦いのときは歩兵となる者。武士と農民の中間的な存在であった。([[江戸時代]]には最下級の武士とされた。) 

-1554年?……木下&ruby(とうきちろう){藤吉郎};と名のり,[[織田信長]]の家臣になる。すぐれた功績をあげて,次第に認められるようになる。 

-1573年……長浜城(滋賀県)の城主となり,&ruby(はしば){羽柴};秀吉と名のる。 

--同じ信長の家臣であった&ruby(にわ){丹羽};長秀と柴田勝家から一字ずつもらって「羽柴」という名字をつくった。 

-1577年……織田信長の命令で,中国地方の[[戦国大名]],&ruby(もうり){毛利};氏と戦う。

-1580年……三木城(兵庫県)を攻め落とす。

-1581年……鳥取状(鳥取県)を攻め落とす。 

-1582年……備中高松城(岡山県)を水攻めする。[[本能寺の変]]で織田信長が死ぬと,毛利氏と講和して兵を返し,山崎の戦いで&ruby(あけちみつひで){明智光秀};を破る。検地([[太閤検地]])をはじめる。 

-1583年……織田信長の家臣中で最大のライバルであった柴田勝家をほろぼし,信長の後継者としての地位を確立する。大阪城を築いて,本拠地とする。 

-1584年……織田信雄(のぶかつ/のぶおー信長の二男)・[[徳川家康]]と戦うが,のちに講和する。 

-1585年……四国地方を平定する。[[関白]]になる。 

-1586年……徳川家康を臣従させる。朝廷から豊臣の姓を授けられ,太政大臣になる。 

--豊臣は姓なので「とよとみのひでよし」と読む方が正しいが,「とよとみひでよし」という読みが定着している。 

-1587年……島津氏を降伏させて九州地方を平定する。[[バテレン追放令]]を発し,[[キリスト教]]の宣教を禁止する。京都に&ruby(じゅらくだい){聚楽第};という邸宅を建てる。北野(京都市)で大規模な茶会を開く([[千利休]]らが参加)。

-1588年……[[刀狩令]],海賊禁止令を発する。 

-1590年……北条氏をほろぼして関東地方を平定する。東北地方の大名も従え,全国統一をなしとげる。 

-1591年……関白の地位を&ruby(おい){甥};で養子の豊臣秀次にゆずり,太閤とよばれるようになる。 

-1592年……隠居後の住まいとして伏見城を築く。中国([[明]])征服を企て,協力を拒否した朝鮮に兵をおくる(文禄の役)。 

-1593年……&ruby(よどどの){淀殿};との間に&ruby(ひでより){秀頼};が生まれる。 

--淀殿は織田信長のめいにあたる(母が信長の妹)。また淀殿の妹は江戸幕府の第二代将軍秀忠の妻となり,第三代将軍家光をうんでいる。 

-1595年……秀次に切腹を命じ,その家族や家臣の多くを処刑する。秀頼が秀吉の後継者となる。

-1556年……伏見城が地震で倒壊したため,別の場所に再建させる。 

-1597年……明との和平交渉が決裂し,再び朝鮮に兵をおくる(慶長の役)。 

-1598年……伏見城で病死する。日本軍は朝鮮から撤退する。 

【秀吉の死後の動き】 

-1598年……秀頼があとを継ぐが,徳川家康の力が強まる。 

-1600年……[[関ヶ原の戦い]]で徳川家康が勝利する。秀頼は&ruby(せっつ){摂津};・&ruby(かわち){河内};・&ruby(いずみ){和泉};を支配する大名とされる。 

--関ヶ原の戦いは秀頼に従う大名同士の争いという形で行われたが,家康の権力が確立し,秀頼は天下の支配者から一大名の位置に落とされた。 

-1603年……家康が[[征夷大将軍]]となり,[[江戸幕府]]を開く。 

-1614年……家康が大阪城を攻めるが,講和が成立する(大阪冬の陣)。 

-1615年……家康が再び大阪城を攻める(大阪夏の陣)。大阪城は陥落し,秀頼は自殺して,豊臣氏はほろんだ。